6月9日の新聞に”ノリ、感涙の再デビュー”と小さな見出しで中村紀洋選手
横浜ベースターズでのデビュー戦を飾っていました。対戦相手は楽天。相対
した投手はエースの田中投手。151キロの速球を叩いて三遊間を破った。
一方、守りでは4回無死1、2塁でバントをダッシュして三塁へ低投して二者
の生還を許した。とは新聞の報道ですが、如何にも彼らしい再デビューだと
思いました。では、波乱にとんだ中村選手の野球人生についておしゃべり
いたしましょう。近鉄バファローズの不動の4番打者として活躍。推定年俸
3億円プラス出来高払い5000万円で契約更改。シアトル・マリナーズに移
籍したイチローに代わってパ・リーグの日本人最高年俸選手にもなった。
’05年、ロサンゼルス・ドジャースに落札されマイナー契約(推定1年契約
50万ドル)を結ぶ。翌年、「帰ってきたで」というキャッチコピーで20年ぶり
に出身地である関西へ戻ってきた。清原和博との共演が話題となるが、
開幕前に右足に肉離れを起こしたり、死球を左手首に受けて、負傷。負傷
した箇所をかばいながら出場している間に右手首も痛めるという故障続き
のシーズンとなる。その後、オリックスに移籍。公式戦で左手首の故障を
「公傷」と主張したのに対し、球団側はそれを認めず60%減の8000万円
(推定)の単年契約を提示。6回の契約交渉が行われるが合意に達せず、
球団側は契約更改を断念。退団が決定。その後トレードを試みるも獲得
球団はなく自由契約選手となった。中村は全球団からの連絡を待ちながら
各球団の春季キャンプが始まっても声がかからず自主トレーニングを続け
るも、個性の強さと故障の多さで、お呼びがかからず、これで選手生命を
絶たれたかと思いきや中日の落合監督から声がかかり、テスト生としての
キャンプ参加を呼び掛けられ同チームのキャンプに参加。テストを行い育成
枠での中日入団が決定(年俸400万円)。背番号は205。開幕直前に年俸
600万円で支配下選手契約を結び、背番号も99に変更された。開幕戦
から公式戦に出場し打率.293、20本塁打、79打点で日本一に貢献した
9月には北京オリンピック、アジア予選決勝リーグ日本代表候補に選出さ
れ出場。日本シリーズでは持病の腰痛が悪化していたため鎮痛剤を射ち
ながら強行出場し、打率.444、4打点と活躍。日本一を決め、日本シリー
ズMVPを獲得。オリックス退団から波乱の1年間の苦しみが頭をよぎった
のか日本一決定後のヒーローインタビューで、は男泣きを見せた。中日と
の契約更新ではテスト入団時より733%アップとなる年俸5000万円の提
示を受け、これを一発で了承し契約更新となった。記者会見では”契約して
くれるだけでもありがたい。額を見ずに判を押すつもりだった”と述べた。
’08年4月に2回目のFA権を取得。楽天への移籍を表明。ノリはノムさん
の下で活躍を期待されるも”ノリは誤算。もう少し打つと思ったが…”という
言葉とともに戦力外通告を受け楽天を退団。地元・大阪で自主練習をし
ながら他球団からのオファーを待つ形となった。本人は”育成枠でもいい
ので現役を続けたい”と表明していた。今年5月23日、突如、横浜ベイ
スターズへの入団が発表され入団。前日、球団社長より電話があった
ことが明らかにされた。背番号は中日、楽天時代と同じ「99」となった。
年俸500万円、絶好調のソフトバンクのエース杉内投手から代打同点2
ランをかっとばし、4連敗のチームを救い、波乱の幕開けを予感する。
如何です。野球ひと筋、野球バカの人生。幼稚園にはいったばっかのガキ
が”将来は公務員になりたい”なんて夢のないことをいう時代に、ひたすら
全力で自分の夢を追い求める、この好漢に乾杯!(ちょっと野球バカとい
えば横浜ベイスターズを追われた工藤公康選手?も出番を待っているん
だそうですよ、48歳にしてその意気や良し!) ぐっさんハイ