プロ野球界のスーパースターだったナガシマさんとおなじ立教大学に入学。
在学中から軟派の気風が加わり次第にダンスホールなどでジャズに傾倒。
自らもバンドの一員となり、アルバイトで歌も歌っていた。また、当時としては
珍しいスチールギターの演奏が出来たため、レコード会社各社でアルバイト
演奏を行い、ミスコロムビアの歌う『十九の春』の伴奏なども務めた。また、
歌謡界の大姉御的な存在だった淡谷のり子に見出され歌手としてデビュー。
作曲家・古賀政男の推薦で、同社で『ダイナ』をレコーディング。同曲では自
ら訳詞と編曲、演奏を担当。トランペッターとして活躍していた南里文雄など
とも交流があり、昭和16年の第二次世界大戦勃発以降は極端に活躍の場
を奪われたミネは、外国人が多く居住した上海租界に活動の場を移し、日本
と上海を行き来する生活が続いた。戦後、ジャズの復活とともに流行歌の世
界でも、活躍を再開し昭和22年、松竹映画『地獄の顔』の主題歌『夜霧の
ブルース』、『長崎エレジー』がともに大ヒット、ステージで活躍。演技もできる
歌手として、力道山主演の『純情部隊』などに俳優として活躍。以降もフラン
ク永井の名づけ親となったり、後輩の面倒見もよく、後に俳優として活躍した
藤田まことや植木等らを育てている。また、立教大学の後輩になる灰田勝彦
とも長年に亘り、親交が深かった。以上HPをパクりまくりましたが、朝鮮半島の
「オーケーレコード」から「三又悦」(サム・ウ・ヨル)名義で朝鮮語の歌を
数曲発売し、当時、日本領であった同地でもミネの人気は高く、彼自身朝鮮
語がうまかったので”長い間、朝鮮の人と間違われ白い目でみられた”と呟
いたそうですな。まあ、戦前の石原裕次郎を彷彿させるようなスーパースター
だった「ディック・ミネ」は平成3年、大ファミリーに見守られながら、急性心不
全のため死去。82歳没 。この大先輩は今流の、絆とか友情という言葉が
ぴったりの、女性だけでなく、多くのひとに慕われた人生だったそうですな。
♪ダイナ、私の恋人、、。合掌。
          ♪どうせ 一度は あの世とやらへ、、、
             楽しんでますか 自分流の人生  ぐっさんハイ!
おまけ:手紙の整理をはじめました。でもなかなか捨てられません。20年前
 に亡夫と旅行した宿からのお礼状や黄色くなった今は亡き叔母からの、は
 がきは何度みても胸が熱くなります。それには、長崎に旅行した折、昔別
 れた方を知り、寂しかったとあり胸に迫りました。私にも辛い思い出があり
 ました。結婚か決まりかけた時、父の病死、弟の戦死と重なり長女の私は
 
 家を出ることができませんでした。それでお別れしてしまいました。その後、
 別の優しい方と結婚が、決まった時、思いがけず下の弟から手紙をもらい
 ”家のため結婚が遅れて申し訳ない、今度こそ幸せになってください”とあり
 私は  泣きながら何度も読み返しました。こんな思い出が一杯つまった、
 手紙をなかなか捨てられません。優しい夫は現在、天国に出張中です
 (福岡県 主婦(88))