呉服屋的な考察。「衣食住」はなぜこの順番? | 大賀屋呉服店7代目「いいきものがかり日記」

大賀屋呉服店7代目「いいきものがかり日記」

創業220年目を迎える岡崎市の呉服店7代目。新聞記者(企業取材)➡コンサルファーム➡着物屋で現在。スポニチ、中日新聞,地元ラジオ局など掲載歴多数、各種講演も実施中。主に岡崎市内の出来事や日本文化、老舗経営や映画について書いてます。趣味は映画鑑賞、読書、将棋

先日ブログの書き方講座に行ってきました。自分の考えをどう伝えるかというテーマに至り、つたないながらもこれから三か月間、仕事のこと、着物のことを中心にまじめにお伝えしようと考えております。題してまじめシリーズ。第一回目は「なぜ衣食住はこの順番?」。

 

 

いうまでもなく、人の暮らしの三大基本要素といえましょう。でもなぜ「食住衣」「住衣食」ではなくこの順番だったのか。自分なりにまじめに考えたことがあります。もちろんゴロがいいもあるでしょう。ただ衣が真っ先に置かれる理由はそれなりのあるのだと思います。わたしは3つの説を考えてみました。

※ちなみに正解はありません

 

一つ目の説「接する時間の長さ」。服はまず24時間お風呂以外はまず何かしら来ています。食は一日3回、時間にしても多くて合計2、3時間程度です。こうした物理的な時間の長さはあるでしょう。その長さが精神性に及ぼす影響は決して見逃せないものです。どうせならきれいなものに囲まれる時間が長ければ長いほどいい。ずっと長い時間身に着けているものにお金や手間を費やすことは悪い選択ではありません。着物の場合は長時間、絹の心地よさ、全身をシルクにくるまれる幸福感があることは、決して見逃せない観点だと思います。

 

2つ目は「生命維持のための優先順位」。

例えば生まれたばかりの赤ちゃん。もちろん言葉は通じません。

でもその時、大人が真っ先にすることはまずは体温の確保、布でくるんであげることだと思います。。

成長した後でも理屈は同じ。生命維持を考えたとき空腹はある程度ならしのげると思いますが、寒い状態はおそらく数時間も我慢できません。まず服着てあとでの温かい飲み物、最後にくつろげる温かい場所の順番なのはある意味自然かと。

 

 

最後3つ目は他の動物にはない特性としての衣。

魚や獣や家畜ありとあらゆる生き物には「食と住」はありますが、なにかしらの衣をまとうのは人間だけです。人は野生の本能を制御すべく、理性を働かせ恥じらいとして体を覆い隠したうえで社会に参加をします。人と他の動物とを分けるものはなにも言葉だけでなく、衣の有無という考えもできます。装うことが人間をさらに人間らしくさせたとは考えすぎでしょうか?

 

もちろん衣食住すべて大切なのはいうまでもありません。人が人らしく暮らすうえでどれも大切な要素です。

ただ衣に携わるものとして、着物をただの物品として扱うのではなく、根源的な理由「なぜ装うのか」という部分まで掘り下げたうえで日々商売したいなとは思うのです。おのずととるべき行動は変わってくるからです。

 

装いは私にとっては自己の表現。その人がどのような格好をするかでその印象が大きく変わってしまう。そのことを自覚したうえで、豊かな着物生活を送る手助けができればいいなとは思うのです。