その272
☆「1Q84」についての最後のコメントです。業界人さんほかいろいろご批判を頂きましたが、物書きの端くれとして言うべきことは言っておかないと悔いを残しそうです。 なぜなら、絶対に実現はしないと信じていますが、村上春樹氏がここ数年ノーベル文学賞の候補云々と取りざたされているからです。もし彼の作品がノーベル賞を取るようなことがあったら、それこそ日本語の名折れになるからです。
☆「1Q84」で特に目立つのは「言った」「尋ねた」「首を振った」等々、会話分の次のフレーズにやたら同じ語彙が連なることです。特に目立つのが「言った」で、一ページに3個か4個出てくることがある。全編にしたら何百個、いや何千個出てきているや知れません。まるで小学生か中学生の作文並です。私が編集者だったら「同じ語彙を続けて使うのは工夫がなさ過ぎます。手抜きと勘ぐられかねないので、別の表現にかえてください」と要求するでしょう。少なくとも美しい日本語からはほど遠いものです。
☆もうひとつ致命的なことは、村上氏が時々不用意な「視点のぶれ」をやらかしていることです。たとえばこんな文章があります。 「ふかえりはきっと特別な存在なんだ、と天吾は改めて思った。ほかの少女たちと比べることなんて出来ない。彼女は間違いなく俺にとって、何らかの意味を持っている。彼女は俺に向けられたひとつの相対的なメッセージなのだ。」最初の文は作者の視点で書かれています。数行後に段落が出てきますが、そこまではずっと作者の視点で書かれなければなりません。ところが二行目からは天吾の独白鯛でかかれています。つまり、天語の視点に摩り替わってしまっているのです。「俺」は「彼」でなければならないのです。「視点のぶれ」一流の作家は決して視点がぶれませんーと、実は、私の「孤高のメス」を最初に読んでくれた編集者からこういわれ、拙稿の中のいくつかの箇所の「視点のぶれ」を指摘されたのです。がーんと打ちのめされました。まさかノーベル賞候補の村上氏までこれを犯しているとは思いませんでした。ノーベル賞の選考委員にはそこまではわからないかもしれません。しかし、日本の厳しい批評家の目を欺くことは出来ないでしょう。 ☆「視点のぶれ」に意を注ぐようになってから、私の文章はかなり改善されたと思います。幻冬舎の編集者たちはみなこの点にシビアーで、社内教育で徹底されているようです。村上氏の作品を扱う出版社の編集者が同様の厳しい目でチェックされることを期してやみません。そして、村上氏には、手抜きをせず、本当に美しい日本語を書いてもらいたいものです。世をすね、社会に背を向け、さては安易に死を選んでしまうような者たちののシェルター的な作品ではなく、テーマももっと普遍的なものを!(この稿終わり)
その271
☆「1Q84」の批評の続き。
BOOK3の予告が出た。予約がすでに一万件に達しているという。この愚にもつかぬ物語が出版界を席巻しないうちにこの批評も急がねばならぬ。
村上作品のよろしくない癖は、思わせぶりに登場する人物が突如消え去ることである。前回に書いた天吾の情事相手の人妻然り、青豆と結託して男アサリをする婦人警察官のあゆみ然り、そして、端役でもない、天吾の上司までが姿をくらませてしまう。天吾にゴーストライターになることを強要し、首尾よくベストセラーになったはいいが、その裏工作がばれぬ先にこの上司は行方不明となる。普通なら会社は大騒ぎとなるはずだ。読者は当然その成り行きや如何と興味をそそられる。ところが、ここでも村上氏はあっさり手抜きをし、この上司のその後や社内の様子について何も触れていない。読者は見事肩透かしを食う。
☆翻って彼の「ねじまき鳥クロニクル」を見ると、そこでも冒頭変態気味の女が主人公に電話をかけてくる場面が出てくる。読者は当然ながら、このいかがわしい女が主人公にねちねちと絡んで色仕掛けで誘惑に及ぶものと推測し、後の展開に興味を抱かせられる。ところが、この女の出番はそれっきりである。いうなれば週刊誌のヌード写真のようなつまみ的意味合いしか持たない。色仕掛けで読者を釣ろうという卑劣な手段である。
登場人物が忽然と消える原因は、村上作品では圧倒的に自殺である。主要な登場人物も、実にあっけなく自殺させてしまう。しかもその理由にはさっぱり触れていない。80歳を過ぎた老人ならいざ知らず、人生これからという若者をあっけなく殺してしまう。村上作品の不健全さの極みである。
人間そんなに簡単に死んでもらっては困る。冤罪で不当に獄に投ぜられても生き抜く、それでこそ人間であり、その不屈の精神こそ人の心を打つのである。自殺であっさりストーリー展開を図る小説家を、だから私はまるで尊敬できないし、軽蔑する。
☆村上作品の登場人物には必ずと言っていいほど東大出の人間が出てくる。しかも決まって人格破壊者に描かれている。「1Q84」では天吾の上司の小松なる人物である。東大出の人間が読んだらいい加減頭にくるだろう。あるいは、寛大に、「村上春樹は早稲田の出だから東大コンプレックスの塊なのだろう」と一笑に付すかもしれないが、私には村上氏が変質者に思える。
確かに東大出の人間にはその学歴を鼻にかけ、人を見下し、唯我独尊の鼻持ちならぬ人間がいるかもしれないが、少なくとも私が出会った東大での人間(医者に限られるが)は、大方人間味豊かで謙虚な人格者だった。宇宙飛行士になった古川聡君などその典型で、私がいた病院に当直に来てくれていたが、いつもニコニコとして物腰柔らかく、人間味豊かな好青年であった。日本の形成外科の草分けで、最近はアンチエイジングに取り組んでおられる塩谷信幸先生など、非の打ち所のないジェントルマンであった。
東大とはっきり名指し、その出身者の登場人物を軒並み悪者に仕立てている村上氏は、やはりいびつな性格の持ち主といわざるを得ない。





