訓練海域を調べている中で搭乗員の方が「佐賀関の煙突を目標にしていた」という証言がありましたので、疑うわけではありませんが、目視で確認できるか現地踏査してみました。
現在の佐賀関製錬所の煙突は第二大煙突しか残されていません。
第一大煙突は1916年(大正5年)12月に完成し、「東洋一の大煙突」、「関の大煙突」と呼ばれていました。
1972年(昭和47年)には第二大煙突が完成しましたが、老朽化によって倒壊の危険があると判断された第一大煙突は2013年(平成25年)5月末に解体され現在に至っています。
上記の画像は1947年に米軍が撮影した航空写真です。
煙が出ている箇所が第一大煙突になります。
今回、3ヶ所にて観察しました。それぞれの位置関係と撮影方向になります。
別府湾内の海岸線は現在のもので、昭和20年当時とは違います。
ゆめタウン別府からの画像です。大分市内や日本製鉄大分製鉄所が確認できました。
向かって左側には石油コンビナート群が微かに見えましたが、佐賀関の煙突は確認できませんでした。
別府観光港からの画像です。この日は天候も良く観察にはもってこいでした。
堤防で少し見えづらいですが、大分市内の様子は肉眼でも確認できました。
肉眼でも辛うじて確認できましたが、デジタルカメラの光学ズームを使用して第二大煙突を撮影してみました。
赤白の煙突を確認することができました。
亀川漁港の堤防から撮影しました。
こちらも佐賀関の煙突を肉眼で確認することができました。
当時の亀川漁港は現在よりも南側の位置にありました。
搭乗員の方の証言では亀川漁港付近にあったガスタンクを目標にしていたとありましたが、現在調査中です。
こちらもデジタルカメラの光学ズームを使用して第二大煙突を撮影してみました。
赤白の煙突を確認することができました。
搭乗員の方の「佐賀関の煙突を目標にした」というのは納得することができました。
ただし撮影した前日は晴れていましたが、靄がかかっており大分市内を確認することができませんでした。
曇りや雨天時には確認することができないはずです。そのような時はどのようにしていたか気になるところです。