小学生の入選作文を読んで感心したことがあって。
読書感想文は美しい文章で、きっと彼のお母さんは会話というキャッチボールが上手で、その子は「もっと、お母さんと話したい。」という思いから、知的好奇心は刺激されて、多くの言葉が記憶され、美しい文章が書ける子に育ったのかも知れない。
[ひらめき]も同じかも知れない。
ひらめきを得ようとしても、何も、ひらめかない。
ひらめきは「もっと、お母さんと話したい。」という求める気持ちから、押し出されてくる。
「もっと満たされたい。」という高揚感から。
「このままでは物足りない。」という心の空白が生まれてくる。
[ひらめき]は底上げ現象かも知れない。
日本人はクローン人間のように均一で能力差はなく。
しかも!
一体化していく。
誰かが「このピッチャーは球持ちが良い。」と言うと。
それに同調して歩調を合わせることで、考える共通の基盤ができる。
後は!
誰かが気付けば良い。
ヒントも共有して同じ様に理解は進む。
日本人の学習能力は他力本願で、ほとんどは誰かが気付いたものにシンクロして[底上げ]されていく。
理解度に個人差はない。
ジグソーパズルは完成に近づいて、それが何か見えてきたけど、あと少しピースが足りない。
「ほぼ見当は、ついた。」
それを埋めてくれるのが[ひらめき]かも知れない。
そんな段階さえもシンクロさせて、ちゃんと理解している。
まず!
「もっと、お母さんと話したい。」という思いから、気持ちは膨らんで、空白が生まれてくる。
小津安二郎は会話の余韻で「・・・。」そこを伝えようとしている。
役者の演技も、全てを漏れなく伝えようとすると、一本調子になってしまう。
むしろ!
強弱をつけて、小津安二郎のように、話し相手に気付かせる話し方の方が伝わる。
特に日本人は[さっして]感じ取る能力が優れているので、聞き手の[ひらめき]や気付きを誘う話し方をした方が良いのかも知れない。
想像できる部分は、読者の想像力に委ねた方が良い。
「きっと分かってくれる。」と読者の自尊心を、くすぐる方が良い。
スピルバークを批判する人は多いけど。
直接的な表現ではなく。
小津安二郎のように、なにかを空想させる方が伝わるのかも知れない。
生成AIは一本調子な話し方をしている。
そして、美しい読書感想文の書ける児童のように「もっとお母さんと話したい。」という気持ちが必要なのかも知れない。
やがて!
そんな子は成長して、お母さんを思い出して、ふっと[ひらめく]。
豊かな語彙が思考を手助けしてくれる大人になっていくのかも知れない。
やはり肝心なところは感情で伝わっていく。
ものを考えない人を見てると、思考が、つながっていかない。
スピルバークを批判する人は多い。
表現力は優れているけど。
気付かせる「 」空欄が足りない。
小津安二郎のような余韻で、映画を見てる人との思いは、つながっていく。
スピルバークの映画は一方通行で、映画を見てる人との対話が無い。
生成AIは、もっと言葉を感情で区分けして、文章の中に、さしはさんでいくと気付きを与えることはできるのかも知れない。