ロボットやモンスターは、子供達には必要なもので。
子供の潜在的な需要を掘り起こしている。
「実は、欲しかったんだ!」という気持ちに、させている。
ジョージ・ルーカスはダースベイダーのような横暴な父親に抑圧されて「オヤジや、こんな町から、いつかは抜け出してやる!」とずっと思っていたらしい。
そして、そんな抑圧感から彼は宇宙戦争のような空想に逃げ込んでいく。
それは、風船を上から押さえつければ押さえつける程、反発力を増していくように逆バネが働いて、ジョージ・ルーカスは空想力を膨らませている。
人が、ものを考える時も同じで、他人から否定され批判されて、それに対して感情的な反発心の様な負のエネルギーが生まれて、自分に対する批判や否定を黙らせるためにはクオリティーの高いものが必要で、粘着力のような思考力が芽生えて、繰り返し繰り返し考えるようになっていく。
ゴジラの怒り。
ゴジラは核実験から生まれて、ゴジラの怒りは、自然を破壊する人間に向かっている。
日本人は、まるでゴジラの怒りを神の怒りのように感じ始めて、やがて日本人のなかでゴジラは神格化されて、ゴジラに高い精神性を求める気持ちが次第に芽生えている。
日本人はゴジラに存在意義も、威厳も
感じ始めている。
街を破壊するゴジラに、怒れる神を感じている。
日本人はゴジラの[負のエネルギー]を神の怒りのように感じている。
破壊に、恐れと威厳を感じ始めている。
イノベーションは破壊があって、創造が生まれている。
破壊から、新しい価値が生まれている。
日本人はゴジラの破壊を見て、その意味を考え始めている。
壊すだけなら意味はない。
しかし、欧米人はロボットやモンスターを敵と感じて、高い精神性を感じてはいない。
これでは物語のクオリティーが上がらない。
今日の日本は、レクサスに付加価値をつけるデザイナーを育てなければいけない。
WOWOWでイル・ディーヴォの東京公演を録画して何度も聴きながら、外国の群集心理はカオスで、どこか集中力が散漫になっていく感じだけど。
しかし日本では観客の集中力に持続性があって、年々クオリティーが上がっていくような気がする。
日本人は、何かを[さっして]何かを感じて、何かを付け足しながら聴いている。
そんな雰囲気を感じる。
それは俳句のように、たった五・七・五でも情感は膨らんで、膨らんだ部分に価値があって、イル・ディーヴォも日本人との間から何かが芽生えてくる。
そんな雰囲気を何となく感じているのかも知れない。
イル・ディーヴォは頻繁に日本公演を行って、そのDVDを全世界にリリースしているのも日本人の興奮と静かに集中して聴いている様子に、彼らもクオリティーの高さを感じているからかも知れない。
イル・ディーヴォの日本公演をTVで見ながら2~3年後には、お互いのクオリティーがもっと上がっている。
そんな気がする。
ただ、欧米の観客はイル・ディーヴォの公演に興奮するけど、集中力が散漫になっていく。
そんな気がする。
欧米人の中で、新しい価値が創造されているとは思えない。
欧米の映画では巨大ロボットやモンスターは敵で、戦っているけど、日本人にとってアトムやガンダムは味方で敵ではなく、街を破壊するゴジラの怒りは、恐れ敬うものになっている。
日本人にとってロボットやモンスターは、戦って征服すべき敵ではなく、味方で。
イスラエルとパレスチナの戦争は終わらない。
2019年ラグビーのWカップ日本大会のように、戦った相手とも一体化していくメンタリティーに世界中は価値を感じている。