日本の数学教育はマニュアル化して答えをだすためのマニュアルさえ覚えれば正解が出せて、意味を教える必要性のないものになっている。
むしろ説明を試みると微妙に変化してしまう。
しかも何らかのヒントを得ると、別の物になって、答えまで変わるかも知れない。そうなるともうテストは有り得ない。
数学も科学も創世記や黎明期は混沌としている。
未知の世界に専門家や権威が、いるはずもなく、仮説のようなものしかなく、何が正しくて何が間違っているのかさえ判断できない。
一本足打法は真似ても打てない。
自由に解釈され、形も変えて生き残っている。
もしも、そのままだと行き詰って王貞治は忘れられてしまう。
創世期には仮説しかなく、仮説は、むしろ自由に解釈するのに都合よく、仮説自体も他人の中で姿を変えて進化している。そんな不安定な創世期はテストになじまない。
数式も、そんな創世期と考えるべきなのかも知れない。
数学はマニュアルさえ覚えれば答えは出せるものになって、変化しなくなってしまうと、もう教える側も生徒も説明を必要としないものになって、このままでは教師も数式の意味が分からなくなってしまう。
数式の意味は一本足打法のように、それぞれが都合よく解釈した部分が意味で、むしろ都合よく変化することで便利に使える。
むしろその方が良いのかも知れない。
数学はあらゆる概念を数値化したり、何もかも計算で答えをだすことには無理がある。
NHKスペシャル「abc予想」という番組で、数学は異質なものを同じものとみなす技術が数学の原理・原則と、何度も何度も言っている。
番組の中で、数学者は数式に、いろんな数字をハメ込んで説明をしている。
数学はあらゆる概念を数値化したり、何もかも計算で答えをだすことには無理がある。
と思っていたけど!
数学者は、数字が規則的に変化していく様子を数式を使って説明している。
数式を使って法則通りに展開していく様子を説明している。
「へえ~。」「そうなのか。」と数式を使って説明すると分かりやすかった。
数学者は数式を使って説明する。
数式は数字と記号でできている。
AIとは違って、どうして数学者は、数字や記号にリアリティーを感じるんだろう?
どうすれば数学者の感性にシンクロできるんだろう?
日本人は「口ではYESと言っているけど、これは断ってるな!」言葉の意味を正反対に解釈して会話は成立している。相手の気持ちに同期させて会話をしている。言葉の意味は二番目に重要で、最も重要なわけではない。
AIとは違って、言葉の持つ意味を超えた会話をして、会話は成立している。
数学は日本人に向いている。
日本人は場の空気に反応する。
日本人は[さっして]科学的なハードルを超えた会話をしている。
日本人は、相手に同期させて共感しながら会話をしている。
数学は「何の計算をしているんだろう?」と理解しようとすると暗号にしか見えない。
数式のハードルは高く、数式の意味を論理的に理解して、超えていくことは難しい。
数学はマニュアルだけ覚えて、ハードルを超えても「この数式は何の計算をしているんだろう?」と、生徒は疑問に感じたことはなく。そんな理解は受験でしか役に立たない。
もしかして!
数学は正解を絶対視すると益々意味が分からなくなってしまうのかも知れない。
日本人は「口ではYESと言っているけど、これは断ってるな!」と、言葉の意味を正反対に解釈して会話は成立している。
AIと違って、確定した正解ではなく、不安定に揺れ動く数学者の心理にシンクロして、とりあえず、ついていけば「へえ~。」「そうなのか。」と、そのうち分かるのかも知れない。