「レオナルドダヴィンチ」で検索すると。
様々な分野への好奇心が旺盛だったとされるレオナルドは、かねてからの研究で発達障害の一種である、ADHD(注意欠陥・多動性障害)ではないかという推測がなされている。
『不思議の国』はナンセンスなSFで、壊れている。
イノベーション能力には、破壊があって創造があるように、何処か壊れている。
それらに[〇]か[✕]をつけると、明らかに[✕]をつけるしかない。
ただ!
ルイスキャロルは学習障害児というよりも[小児性愛者]だったのかも知れない。
健康体でないのは、思考回路ではなく、性癖の方かもしれない。
思考の入り口は[空想]のように科学じゃない。
「常識に囚われない発想をしなさい。」というけど。
ということは!
非常識な考え方をするという意味で。
天才達は優れた才能の持ち主だけど、一点だけ、壊れているのかも知れない。
創造は天才的な才能でも、破壊は致命的な欠点なのかも知れない。
日本の教育は[チャットGPT]のように模範解答を即答することを求めているけど、これからイノベーション能力を求めるようになると[創造的破壊]にピントが合って、天才達の致命的な欠陥が注目されるのかもしてない。
そんな時!
ルイスキャロルの空想はナンセンスでも、子供達は違和感を感じることもなく物語の中に入り込んでいる。
そもそも、そんな数学者の空想を理解するのは困難だけど、数学とは関係ない数学者の[感情]なら「そうなのか・・・。」と簡単に理解できるのかも知れない。
理論的に考えても、理論にリアリティーを感じることはできないけど、しかし感情にはリアリティーがあって簡単に伝わる。
『不思議の国のアリス』はナンセンスな物語で、アリスと、うさぎとの会話に
子供達は「分からない?」「無理!」とは感じてない。
やはり!
国語で考えると、アリスと兎やトランプとの会話も可能で、簡単に科学の限界を超えていくことができる。
そして!
容易に伝わっていく。
ベートーヴェンは耳が聞こえなくなってから、あの有名な曲を作曲している。
「どういうことなんだ?」
もう空想するしかなく、彼の空想力は楽器の音色の限界を超えている。
やはり!
生徒の思考力を見極め、育てるためにも、天才達の致命的な欠点や障害は、大いにヒントになるのかも知れない。
数学の入口には、やはり破壊があって。
個人的な性癖から入る方が、むしろ分かりやすい。
『不思議の国』は子供達を空想の世界に誘って、体験することで、架空の世界でも、ちゃんと伝わっている。
天才達の常識に囚われない思考の入口は。
もしかして!
致命的な欠点や障害が原因なのかも知れない。
しかし!
そんな彼らの常識外れな空想を論理的に理解することはできなくても、ディズニーランドのように体験することで。
むしろ!
楽しくて、なんの抵抗感もなく、スッと入っていける。
たとえ実現できなくても、妄想は楽しくて。
ナンセンスな漫画も面白くて。
常識が壊れている。
もしも「チャットGPT」が妄想をしてると、それは故障している。
東京大学には模範解答を即答する生徒はいても、学習障害児はいない。
「現状維持が、そんなに重要なの?」
空想力はSFで!
SFが[正しい]とか[間違い]かは、どうでも良い。
天才達の空想力は!
非科学的な作り話で、やはり、よくよくの事情があるのかも知れない。
だからこそ彼らの気持ちは分かりやすく。
体験すれば良いだけかも知れない。