[チャットGPT]は間違った答えを平気で出してくるという。
心配しなくても日本人の頭は柔らかくてyesとnoの間を行ったり来たりしながら、方向転換して。
むしろ!
矛盾した考えを比較することで、分かりやすかったり。
それは知能も感情もない[チャットGPT]から正解ではなく、ヒントを得ると思えば良いのかも知れない。
それなら方法はあるのかも知れない。
そんな資料の表示の仕方で、日本人の思考力は覚醒するのかも知れない。
[無]の状態にリセットしながら考えたり。
今、言われている問題点は!
日本人には、それほどの問題ではないのかも知れない。
ただ!
一本足打法は日本刀を振っていたから生まれてきたという話は、日本人には何の問題もなく理解できるけど、アメリカ人には、日本刀の振り方の違いが理解できないし、間(ま)なら日本人には理解できても、アメリカ人には理解できない。
日本では「教科書は正しい。」と教えるけど[一本足打法を正しい]とは教えない。
やはり!
日本から生まれたものは理解もできるし教えることもできるけど、外国で生まれたものは理解できず教えることもできない。
数学もマニュアル化してマニュアルを覚えただけで納得している。
肝心な意味が理解できてない。
作り直す、応用力が身に付かず、日本的に進化させることができず、これでは、そのうち数学の教師も数式の意味が分からなくなってしまう。
数式が理解できるためにも、使いこなせるためにも、日本的に進化させるしかない。
一本足打法の意味は、それぞれが解釈を上乗せした部分が一本足打法の意味で、数学も同じように、数式に独自に解釈を上乗せした部分が、その数式の意味で、正しく解釈することではない。
どうせ数式を作り直す応用力が必要になるんだから。
[チャットGPT]は間違った答えを平気で出してくるという。
それは知能も感情もない[チャットGPT]には限界があって、正解ではなく、ヒントを得ると思えば良いのかも知れない。
進化の過程で生まれてくる矛盾した考えを比較したり。
日本刀や間(ま)のように日本人なら簡単に理解できたり。
日本で進化した部分のみ、理解もできるし、教えることもできる。
教科書に載っている学者の思考は常識や科学の境界線をあっさりと超えている。
[チャットGPT]は間違いに気付かなかったりする。
それよりも!
人が常識や科学の境界性を越えられないことの方が問題で。
これではヒントにならない。
テストを記述式に変更すれば良い。
理科を国語で考えると、容易に常識や科学の境界性を越えていくことができる。
[チャットGPT]は、その文系コンピューターであることに可能性があって。
というか!
日本語仕様の[チャットGPT]は、より文系コンピューターであることに価値があって。
[チャットGPT]は間違いに気付かないと言うけど。
答えではなく、ヒントを得ると考えれば良い。
日本語は[あいまい]で。
むしろ!
日本人仕様の[チャットGPT]は、結論ではなく、思考の入口にいると割り切って、国語(日本語)で常識や科学の境界性を越えていくと考えれば良いのかもしれない。