フェラーリーの「ローマ」を見てると、気持ちは弾んで、いろんなドラマを想像させてくれる。
美しい「ローマ」を見てると、夢のような妄想を誘う。
夢のようなドラマは、いつまでも続いてほしい。
「終わらないでほしい。」
妄想に、テストのような[正確さ]や[答える早さ]は、なんの意味もない。
むしろ逆で!
妄想は膨らんで、弾んで、多くの時間を浪費して終われない。
日本車のデザイナーは、日本人の[感じる力]を信じて「あと一筆、未完成な部分を残しておく。」と言う。
英語は結論から話始めるけど、日本語は結論は後付けでもかまわない。
日本人は、話し相手が次に発する言葉を想像できて、それを予測しながら自分の意見を話している。
話してると、フッと気付くこともあって。
日本語は文節の最後で柔軟に変化させることができる。
人は褒められることで気持ちは膨らんで、ホップ・ステップと弾んで[ひらめき]を得ることができる。
[チャットGPT]を考える時。
英語は結論から話始めるけど。
日本語は文法的に言葉の並び順は自由で、ホップ・ステップと弾むように並べると[ひらめき]を与えることができる。
生徒が[チャットGPT]を使ってレポートを書くことが問題視されているけど、日本の文化は言葉数が少なく「解」を求めてはいない。
むしろ!リセットして解放してくれる。
未来も同じように「解」はなく。
そして日本語は[あいまい]で、解釈に幅があって、自由に空想を誘うことができて。
「解」のないテーマについてレポートを書く時。
むしろ!
フッと気付くと、文節の途中でも自由に変化していく日本語に優位性があるのかも知れない。
日本人にとってキーワードは、単語一つの場合が多く、その一言を付け足すことで空想は膨らんでいく。
欧米人にとってのキーワードは、きちんと説明された文章で[正確さ]や[答える早さ]なのかも知れない。
欧米人が[チャットGPT]に求められるものも[正確さ]とか[答える早さ]で、知能や感情の無い[チャットGPT]では、すぐに限界をみせてしまう。
しかし!
日本語は展開していく、終われない言語で、日本人は話しながら考え、考えながら話しているので。
アイデアは無くても、とりあえず出発すれば良い。
一本足打法も、あと一筆や、あと一言で、まったく違うものになっていく。
周辺の知識を織り交ぜながら『王貞治物語』が作られていく。
そんな『王貞治物語』を書くのに、テストのように[正確さ]や[答える早さ]は、なんの意味もない。
日本語は『王貞治物語』を書いていると、想像を誘って、一本足打法の意味は自分なりに理解できる。
もう一つの[チャットGPT]があって。
ホップ・ステップと弾んで『王貞治物語』は終われない。
連想ゲームに誘って。
いろんな方向に導いていく。
目的地も決めずに旅の出れば良い。
むしろレポートを書くために。
自由な空想を誘う。
[チャットGPT]の、何気ない[一言]がヒントになって、キーワードになって、知能も感情もない[チャットGPT]でも、レポートは書ける。
「解」のない未来のレポートも書ける。
[チャットGPT]と日本語は相性が良いのかも知れない。。