自分も、すっかり高齢化して病院や
役所の福祉課に行くことが多くなったけど、お役人と接して「決められた通りやる、現状維持能力のようなものが必要なんだなぁ。」と思う。
自由に解釈して、好き嫌いという感情で勝手に結論まで変えてしまうのは無能な、お役人でしかない。
しかし!
イノベーションは技術革新で、都合良く解釈して、都合良く変えてしまう能力で、お役人とは正反対な能力を必要としている。
数学も同じかも知れない。
計算の得意な生徒は、マニュアルに違和感を感じることもなく、すぐに適応して、税務署の、お役人のように決められた通りに、こなしていく。
しかし!
それとは反対に、数学を考える能力のある生徒は、自由に解釈して、勝手に結論まで変えて、、時代遅れな古い数式からでもヒントを得て、ちゃんと役立てている。
エジソン少年は「1+1=1」と答えている。
「1+1=1」だと言うエジソンは税務署に就職すると、無能なお役人でしかない。
トーマスエジソンは、お役人としては無能と批判され、しかし!イノベーション能力としては「天才」と評価されるのかも知れない。
同じように!
数学も計算力と数学を考える力は違って、分けて考えるべきなのかも知れない。
もしかして!
数学を考える能力は、計算力にはマイナスに作用するのかも知れない。
今日[チャットGPT]との開発競争が激化している。
[チャットGPT]には知能もなければ感情も無い。
しかし!
日本語の文法に可能性があって。
結論は日本人に丸投げすれば良い。
それは!
ホップ・ステップと跳ねて、フッと気付かせる文章は、結論から言わなければいけない英語は苦手で、むしろ結論は文章の最後でも良い、最後に、どんでん返しも有り得る日本語に可能性があるのかも知れない。
そのためにも[正解を失くす]必要があって「自由に連想しなさい。」と丸投げすれば良いのかも知れない。
正解という過去を振り返るのではなく。
未来を空想する。
過去の知識は連想を誘うロイター板として使うことに意味があって。
[チャットGPT]のように「正しい」という、既存の知識や従来の考え方に留まることに意味はない。
ユダヤ人には、辛い体験や苦しい思いがあって[潜在意識]への、息苦しい重しになっている。
ユダヤ人にとって現状維持は最悪で。
常識は自分たちを守ってはくれない。
ユダヤ人は現実を見たくない。
成功する姿を妄想することが、唯一の楽しい時間だったのかも知れない。
それは現実から解き放たれて、浮き上がる瞬間でもあって!
そんな成功する妄想は高揚感を伴って。
空想は膨らんでいくと。
大きな「 」空室が現れて。
スペースを空想で埋めている。
自由な妄想は、他人の目を気にすることもなく。
解放された空想は科学ですらない。
しかし、すぐに何も思い浮かばなくなって行き詰ってしまう。
そんな時!
パソコンで検索してると、いろんな例文を示してくれて、その中から「これだな!」と新しく考える方向を示してくれる。
「示唆」で検索すると。
それとなく教えること。また、暗にそそのかすこと。
「―に富む発言」
人の思考回路にはコンピュータープログラムがないからこそ、予想外な展開をする。
それが量子コンピューターでも、できない成果かも知れない。
やはり❕
結論は日本人に丸投げすれば良い。