BMWのデザイナーは、実現性とか採算性を考えないことで、自分の内にある美意識が引きだされてくる。
実現性とか採算性を考えると発想は制約されてしまう。
「制約」で検索すると。
ある条件を課して、自由にはさせないこと。その物事のために必要な条件。
[実現性とか採算性]は、自らの発想に制限を加えている。
アイデアが生まれるためには、まず限界を超えるための手法が必要で・・・。
そのためにBMWのデザイナーは、優先順位が一位の実現性とか採算性を忘れて自由にデザイン画を描いている。
もっとも重要な実現性や採算性を無視している。
ルイスキャロルは数学者で『不思議の国』のように、最も重要な科学を無視している。
いきなり科学を言わないことが重要なのかも知れない。
いきなり正解を要求するので、偏差値大学からイノベーションが生まれてこないのかも知れない。
慌てない方が良い。
そして!
入口と出口を分けて考えた方が良いのかも知れない。
車のデザイナーは出口を意識することなく、忘れることで美意識は引き出されてくる。
ルイスキャロルも科学を忘れて、空想力は引き出されてくる。
才能は科学を無視している。
空想は科学ではないので。
テストをすると才能は見えてこない。
漫画は楽しくて自由な空想を具現化している。
子供達に漫画を描かせれば良い。
それが短期間で創造力につながっていく訳ではないけど。
日本はアニメの国で、漫画なら、なんでもできる。
アニメを描いていると空想は科学の限界を超えていく。
むしろ急がない方が良いのかも知れない。
石庭を見てると、時間が、ゆっくりと過ぎていく。
やはり石庭は、それを見つめている人がいて、意味を増している。
龍安寺の石庭を見つめていると、不思議な現実感や距離感を感じる。
龍安寺の石庭は、思考の入口に位置して、日本人を[無]の状態にさせる。
権威主義はリセットされて、[答え]も分からなくなってしまう。
龍安寺の石庭は考え続けることを求めている。
日本人は思考の入口に適応力があるのかも知れない。
なにもかも忘れた方が良い。
『不思議の国のアリス』を読んだ子供達は、その世界に誘い込まれて、現実感や距離感が、おかしくなっている。
空想は常識や科学から切り離されていく。
しかし!
ナンセンスな「不思議の国」は違和感もなく、頭にスーッと入ってくる。
学者達の思考の入口と出口を分けて考えるべきなのかも知れない。
学者の発想は出口ではなく入口で、まず常識や科学から切り離されていく。
しかし!
そんな学者達の空想は現実感や距離感にシンクロして、SF小説のように疑似体験できるのかも知れない。
思考の入り口にいる日本人には優位性があって。
日本人は文系で、学者の空想をSF話として聞くので、抵抗なく、頭にスッと入ってくるのかも知れない。