小津安二郎 7 | エイジのブログ

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ニュース番組の背景に生け花が飾ってあって。それを見ながら「自分だと、そんな生け方はしないなぁ。」と感じて、その生け花はどこか未完成で、まだまだ続きがあるような、作業の途中のような生け方に「そうなのか。」と感じる。

 

自分は、生け花を完成させようとして、そこには答えなどなく、どう生けたら良いのか分からなくなってしまう。

 

完成形ではなく。

 

むしろ何かを感じさせる生け方が重要で、製作の途中という感じで良いのかも知れない。

 

それは絵画も同じかも知れない。

 

生徒に『東京物語』の感想文を書かせると良い。

 

思考の入り口は[生け花]のように考える力というよりも感じる力が必要で。

 

答えは無くても良い。

その先を連想させる表現の方が良い。

 

まず空想があって、広がりがあって、それから写実的になっていく。

 

[写実主義]で検索すると。

 

写実主義、あるいは現実主義は、現実を空想によらず、ありのままに捉えようとする美術上、文学上の主張のこと。リアリズム(英:Realism)、レアリスム(仏:Réalisme)。

 

生徒は、その空想の続きを書くことで。

 

生徒の感じる力は鍛えられるのかも知れない。

 

感情は理性よりも速く伝わっていく。

 

空想のように、思考の初期の段階に適応力を見せる。

 

生け花は未完成で、まだまだ続きがあるような、作業の途中のような生け方をしている。

 

そこから見てる人の連想を働かせるような表現をしている。

 

空想を誘う。

 

我々の生け花が面白くないのは、生け花を完成させようとしている。

 

しかし!

そこには答えなどなく、どう生けたら良いのか分からなくなってしまう。

 

どうしても完成させて、確定してしまうと、そこから空想が膨らまないからかも知れない。

 

[生け花]は空想の途中で良いのかも知れない。

 

『東京物語』は解説者によって面白くなっていく。

 

小津安二郎は映画評論家の解説ひとつで、面白くもなれば、つまらなくもなる。

 

小津安二郎の映画に。

 

人は癒しを求めている。

 

人は、自分が最も「幸せ」と感じた過去を思い出したいのかもしれない。

 

人は癒しを求めて!

 

無意識に、過去の記憶を幸せだった記憶として、上書きして見ているのかも知れない。

 

多くの記憶は、記憶したことすら認識できない潜在意識に記憶されるらしい。

 

PTSDのように、記憶の消去は難しいのかもしれないけど、上書きならできるのかも知れない。

 

映画評論家の感想文を読んで、面白くなると、自分も書きたくなるはず。

 

小津安二郎の映画を見ると余白や間(ま)が多くて。

 

無意識に、過去の記憶を幸せだった記憶として、上書きして見ているのかも知れない。

 

生徒に、出来の良い[生け花]を見せて「何を感じたか書きなさい。」と書かせれば。

 

「この子には才能がある。」と感じて、分かりやすいのかも知れない。

 

小津安二郎の映画は、見る人に多くの余韻を残している。

 

そんな映画は、無意識に自分の思い出を上書きして、まるで自分の過去の体験のように感じるのかも知れない。