エジソン少年は粘土をイメージしたため「1+1=1」と言っている。
もう一つの現実が生まれている。
そんな彼の、もう一つ現実は、我々にも十分に理解できるし評価もできる。
「1+1」に答えが二つあるの?
むしろ「1+1=1」に魅力を感じる。
エジソン少年の数学は公式という[公]ではなく[私]で、できあがっていることを再認識させられる。
公式という権威主義的な数学ではなく、エジソン少年の[私]の自由な数学から、新しい数学が生まれている。
王貞治や星野伸之は変なことをして成功している。
彼らを見て、連想や空想から、新しい現実が生まれている。
連想や空想という現実逃避から新しい現実が生まれている。
数字には、それ以上の意味など無く、解釈を上乗せした部分が数式の意味で、数学は個人的なもので。
記述式の数学は「分からない?」と悩んでいる様子を書いても評価してもらえる、ますます個人的なものになっていく。
やがて数学はエジソン少年の二つ目の答えにも説得力があって、現状維持の数学のテストには意味を感じなくなってしまうのかも知れない。
記述式の数学は公式という[公]ではなく[私]で、できあがっていることを再認識する数学かも知れない。
ただ!
日本人は[私]よりも[公]を優先することで管理社会が機能しているし、治安も良い。[公]よりも[私]を重要視する記述式の数学とは矛盾しているけど。
「良いとこ取り」で検索すると。
いいとこ取り 複数の項目の中から、それぞれの長所や利点だけを抽出して、一つのものに盛り込んだかのような様子。
グループ学習は、矛盾から、長所や利点だけを抽出できるのかも知れない。
イノベーション能力は周囲を出し抜く能力で、協調性と矛盾している。
そして!
集団志向性のDNAは周囲を出し抜くと、悪目立ちをして、孤立感を深めて,
益々周囲を出し抜く能力が育たなくなってしまう。
しかしグループ学習では。
「分からない?」「どうして?」という疑問を共有できるところが日本人の能力で。
そんな時に、誰かが気付けば良い。
「そうか!」と気付く!周囲を出し抜く子がヒーローになっていく。
疑問を共有しているので、気付きも共有して、常に同じレベルで理解は進んでいく。
「共感性」で検索すると。
共感性は「思いやり」を意味するもので,他人の感情を正しく推し量ることが必要であるとされる。
そんな感情は理性の上に位置して、日本人は右脳と左脳で考えているのかも知れない。
ドーパミンは、やる気にさせる脳内麻薬らしい。
やはり!やる気という感情で機能している。
「脳内麻薬」で検索すると。
脳内麻薬とは、モルヒネなどの麻薬と似た作用を示す物質で、痛みや精神的ストレスにさらされると多く分泌してそれらを和らげる働きをするが、ストレスから解放されたり過剰に分泌されたりすると、非医療行為における麻薬使用のような作用を及ぼすことが知られている。
有名人で検索すると「〇〇障害児」だったという記述が気になる。
彼らの[ひらめき]はストレスの中で脳内麻薬が分泌して脳が幻覚を見ているのかも知れない。
ドーパミンは、やる気にさせる脳内麻薬らしい。
日本人は集団志向性でドーパミンが分泌して、個人を、やる気にさせて[組織]と[個人]は両立しているのかも知れない。