アメリカでは自閉症の中に理数系で才能を発揮する子がいるという。
それは「古池」や「蛙」に、それ以上の意味なんかないのに「なんだろう?」と、ついつい空想してしまう、そんな芭蕉の句が好きな日本人の好奇心を刺激する。
自閉症は学習障害児で、そんな致命的な欠点が才能に変わる[分岐点]はどんなんだろう?
「何が、どう変わったんだろう?」
「変わる様子を見てみたい。」
「もう捨てるものはないのか~。」と、医師達の理解力には愛を感じて、これも好印象を受けるのかも知れない。
王貞治は成功例だけど、変なことをしている。
しかし!
日本刀のイメージでバットを振ればヒントは山ほど見つかっている。
それが!
変な行為が才能に変わる分岐点で、そのためにも日本刀というキーワードが必要になってくる。
学習障害児が才能に変わる分岐点を見てみたい。
「どんなんだろう?」
「どんなキーワードが必要なんだろう?」
暴力的な精神野球からの揺れ戻しで長嶋茂雄の[プラス思考]が、その受け皿になっている。
そんな揺れ戻しが長嶋監督として再評価される分岐点になっている。
振り子はスパルタな精神野球に振れて、そこから反対方向に大きく揺れ戻しているけど、裏の裏は表ではない。
『北風と太陽』を思い出す。
長嶋茂雄は、冷たい北風ではなく、暖かい太陽になって、監督として成功している。
暴力的な黒歴史があったからこそ、太陽のような長嶋茂雄は輝いて見える。
暴力的な[負の力]からブレイクスルーしていく[正の力]を感じる。
日本人は長嶋茂雄が再評価される、そんな分岐点を目撃している。
まるでオセロゲームのように、批判されていたものから、新しい価値が生まれてきたり、知識が知恵になっていく様子は面白い。
日本にも、そんな歴史があって、それを目撃してきたからこそ。
生徒の「分からない?」「どうして?」と答えが見つからない様子を、そのまま文章にすると、混乱しか感じられない。
だからこそ!
記述式の試験は、生徒が「分からない?」「どうして?」と悩んでいるからこそ、気付きのような[正の思考力]が必要になってくる。
記述式の入試は、そんな[分岐点]の様子を書くと良いのかも知れない。
[悩んでいる様子]という欠点・欠陥にしか思えない混乱状態を、まず書くて。
「で、どうなんだ?」と採点者は話の結論を知りたくなると、受験生の混乱からの気付きは[正の思考力]に思えて説得力を増していく。
慌てない方が良い。
アメリカでは自閉症の中に理数系で才能を発揮する子がいるという。
自閉症は、学習障害児で、そんな致命的な欠点が才能に変わる[分岐点]は「どんなんだろう?」
「見てみたい」で検索すると。
見てみたい…今まで見たことがないものに使います。
一度でいいから彼の部屋を見てみたい
見たい…経験があってなくても見たいという願望を表します。
あの映画が見たい。
能天気と揶揄された長嶋茂雄は、最も愛される野球選手になっている。
王貞治の変な練習から、偶然!考えたこともないアイデアが生まれている。
日本人は、彼らの変な行為が評価に変わる分岐点を目撃した経験があって。
自閉症児が才能に変わる分岐点を是非、見てみたい。
「何が、どう変わったんだろう?」
「変わる様子を見てみたい。」
自閉症児に対する「愛」を感じるのかも知れない。