完成度と空想力は矛盾している。
「完成度」で検索すると。
完全さの度合い。 完全無欠な状態への近さの度合い、改良の手を加える余地の少なさなどを表す表現。
形が同じレゴパーツを組み立てても完成度に限界があって、同型は欠点でしかない。
ただ完成度と空想力は矛盾していて。
英語はレゴパーツのように固定概念化した言語で、そうとしか解釈できない一面があって、通じ合えない者同士の会話には適している。
それとは反対に!
日本語は、あいまいで「おそらく、こう言いたいんだろう。」と聞き手は察して言葉を付け足して聞いてくれる。
あいまいな日本語で連想ゲームをしながら会話をしてるので、他人の何気ない一言がヒントになることも多い。
英語は完成度の高い終着駅で、日本語は始発駅で空想に適している。
完成度は思考の出口で測る“ものさし”で、空想力は思考の入口で測る“ものさし”。
ペーパーテストは、いきなり正解を求めてくる。
「そこが間違ってるんじゃないの。」
[あいまい]な日本語は「うん?」「なんだ?」と日本人の空想を誘う。
急がせると、空想力と完成度は矛盾するけど、時間さえかければ、空想力には伸びしろがあって、むしろ完成度を上げることができる。
日本人は印象派の絵が好きで、モネやルノアールは何かを想像させる。
「ずっと見ていたい。」
「そもそも答えを急がせることに何の意味があるんだ?」
むしろ印象派の絵は、最後の一筆は「 」のままに留めて、想像に委ねている。
というか!
もともと印象派の絵は未完成で、創作力を刺激している。
やがて記述式の入試に変わると、答えよりも、インスピレーションという伸びしろを感じると「うん?」「なんだろう?」と採点者の興味は湧くのかも知れない。
そんな連想ゲームに誘う記述が効果的で。
王貞治も星野伸之も、成功例で変なことをしている。
完成度を上げていくためには、空想力を必要としている。
というか!
もともと王貞治や星野伸之に正解などなく創作力を必要としている。
欧米人は「yesなのかnoなのかハッキリさせなさい。」と、いきなり結論を求めてくるけど。
日本人は「 」が好きで、王貞治や星野伸之に間(ま)を感じると。
そこから再出発していく。
そこには新しい方向性があって、連想ゲームが始まって、ホップ・ステップと弾んでいく。
ペーパーテストの答えは出題者が決めている。
そうではなく!
日本人は日本語で連想ゲームをしながら会話をしているので、日常会話からでもインスピレーションを得ている。
ペーパーテストをして「正解」とか「正しい」とか言ってるけど、むしろ王貞治や星野伸之という古い知識からインスピレーションを得ると、それは宝島の地図になっている。
従来のテストは正解しか評価されないけど、記述式の入試は、そこから展開する“伸びしろ”に学習能力を感じるのかも知れない。