1960年代のアメ車のデザインにはは無駄が多すぎて、これでは無駄な鉄や重すぎるエンジンまで一緒に運ぶことになってしまう。
やがてEVが進化すると。
ランボルギーニの大きなエンジンまで一緒に運んでいることが、こっけいに思えてくるのかも知れない。
しかし60年代のアメ車もランボルギーニも。
「カッコイイ!」
「効率」で検索すると。
機械が有効に働いてなした仕事の量とそれに供給した総エネルギーとの比率。また、仕事の能率。
「―をあげる
「美しいデザインと効率は共存できないの?」
デザイナーの才能は効率を言わないことで発揮できるのかも知れない。
ただ!ガソリンエンジンでは、まだ制約も大きくてデザイナーの自由度には限界があるけど、EVが進化すると、もっとカッコ良くなるのかも知れない。
あくまでもランボルギーニは規格外で、やはり効率は言わないことでカッコ良くなれるのかも知れない。
60年代のアメ車やランボルギーニに点数をつけると何点なんだろう?
ペーパーテストでは、規格外の答えには[✕]をつけてしまう。
王貞治も星野伸之も、変なことをしているので。
高得点は与えられない。
しかし!
周辺の知識を織り込みながら王貞治物語や星野伸之物語を書いていると、そこから多くのヒントを得ている。
「教科書は正しい。」と教えるのではなく。
「学者は変なことを考えている。」
王貞治も星野伸之も、成功例で変なことをしている。
規格外!そして常識外れな学者の発想をテストすると「×」を付けるしかなく、テストは失敗してしまう。
一本足打法は模範解答ではなく「コピーしても打てない。」という印象を与えている。
再構築を促して。
むしろ!最初から考え直すことを求めている。
そして日本の教育のように「教科書は正しい。」と教えると終了してしまう。
そうではなく!
「変なことをしてるからスルーして、誰も気付かないんだ。」と教えれば、そこから新しく再構築されていく。
新しい常識は、古い常識をリセットして生まれている。
60年代のアメ車はカッコイイけど効率が悪い。
ランボルギーニのデザイナーは、カッコ良さを優先させて効率は言わないことで[ひらめき]を得ている。
インスピレーションは、そこから展開することで。
思考の出口は科学でないと意味がないけど、思考の入口は非科学的そして非現実的な[楽しい妄想]でも良いのかも知れない。
むしろ!
思考の入口は、発想を絞り込まない方が良いのかも知れない。
デザイナーは、カッコ良さだけで、効率は考えなくても良い。
王貞治や星野伸之は変なことをしている。
[ひらめき]は自由にデザインする、そんな時間の無駄遣いから得ることができて。
慌てなければ良いのかも知れない。
ランボルギーニのデザイナーにペーパーテストなんか有り得ない。