高齢者がアクセルとブレーキを踏み間違えて事故を起こすニュースが連日放送されている。
「自分も、やがてそうなるのか。」と心配になってくる。
「散漫になる」で検索すると。
他のことに集中するあまり、ある物事に対する注意が散漫になること
「なるほど!」
「そうか。」
他人の書いた記事なら、気持ちが散漫にはならないのに、なぜか自分の書いた文章を読み直していると、余計なことを思い出して、頭に入らなくなってしまう。
高齢者の事故も、脳の劣化というよりも、何か考え事をして間違えたのかも知れない。
特に日本語は連想の働く言語で、ホップ・ステップ・ジャンプと跳ねてしまう。
むしろ自分の書いた文章だと、ついつい考え事をして、考えていることが優先して、自分の書いた文章に対して散漫になってしまうのかも知れない。
高齢者の事故は、自分にも思い当たることがあって心配だけど「なるほど!」「考え事をしてると、そうなるのか。」と思えるとホッと安心する。
それを思うと、人はマニュアル通り動いている時は、何も考えてないのかも知れない。
日本のテストでは[〇]をもらうためにはマニュアルを覚える必要があって、そんな入試マニュアルは社会人になると、ほとんど役には立たない。
東大生のリアリティーを感じない話し方が気になる。
「分からない?」という疑問から「なるほど!」という気付きがないからかも知れない。
むしろ時間をかければ、かける程、リアリティーは増していく。
「模範解答を即答しなさい。」と考える時間のない教育も原因して、そこから連想が働いて変化していくことはないのかも知れない。
マニュアル通り動いていると余計なことは考えなくなってしまう。
計算力を問う数学は、その方が良いのかも知れない。
しかし数学が記述式に変わると一変して。
何に気付いて、何をどう感じたのか、何処にリアリティーを感じているのかで評価は得られるのかも知れない。
エジソン少年は粘土をイメージしたため「1+1=1」と答えている。
しかし!粘土が、くっついて、一つになる様子にはリアルティーがあって「この子は面白い。」と評価してもらえるのかも知れない。
「1+1=2」というマニュアル通りの答えには、考えている様子は感じられない。
記述式の数学は、変化が評価してもらえる数学かも知れない。
高齢者の事故は、何か考え事をして間違えたのかも知れない。
正確で速い判断はAIの方が優れているのでAIに任せれば良い。
人はマニュアルとは違う判断が必要な時に操作すれば良い。
AIの進化で、人はAIを必要として、AIも人を必要としている。
ただ!
最近はスマホを使うので電話番号が覚えられないし、漢字は読めるけど書けない。
それは脳の劣化かもしれないけど。
日本語で考える数学は、何か考え事をしてると、他のことが散漫になってアクセルとブレーキを間違えたり。
連想が働いてホップ・ステップと跳ねて。
計算力は劣化しても、考える力に特化した脳になっていくのかも知れない。