誰しも、ついつい妄想で時間を浪費してしまう。
しかし!
長嶋茂雄は自分のことを「天才!」「スーパースター!」と妄想をして、それは実現しているし、学者のイノベーションも未来を妄想している。
妄想や空想は、むしろ必要なもので。
偏差値大学からイノベーションが生まれてこないのは、漠然とした妄想や空想では点数が取れないからで。
学者は空想して、現実ではない、架空の世界で、もう一つの時間を過ごしている。
妄想は空想は、固まらないコンクリートで、どろどろと流動化して、どんな型枠にもハマっていくけど、しかし何時までも固まらないコンクリートでは役に立たない。
ただ!
コンクリートを型枠に流し込むと、型枠通り固まってビルや橋のように現状維持能力には優れているけど、固まったコンクリートは、それ以外には使いものにならない。
車のデザイナーは何度も何度も書き直しながら自分の中にある美意識を引き出している。
一発で決める必要性はないし、早く決める必要性もない。
たっぷりと時間を使って、何種類ものデザインの中から「これが良い!」と選べば良い。
そのために、粘土のように何度も作り直すことができるデザイン力が必要で、すぐに固まるコンクリートでは発想が貧しくて欠点でしかない。
偏差地大学がイノベーションで成果を上げられないのは、「一分で答えなさい。」「正解を即答しなさい。」というテストが原因で、しかもデザインが古い。
ずっと正解のあるクイズのようなテストを繰り返しているので、答えは自分で作るという発想がない。
ただ!
日本人の能力は、自立や独立という方向では機能しないのかもしれない。
それに加えて日本人は、人や会社そして国に依存すると、それに従って、ますます自分で判断しなくなってしまう。
日本人は、場の空気を読む能力を進化させて、野球中継でも解説者が「あの投手は玉持ちが良い。」と言っている。そんな考える共通の基盤を共有しているので[誰かが気付けば]ヒントも共有して皆で考えている。
日本画の大きな余白は[無]だけど、しかし[のりしろ]で接合するためには必要なもので「なに?」という疑問を共有して「そうか!」という気付きも共有して、大きな余白は考える初期の段階で結果をだしている。
日本人の判断力は、皆とは違う方向、自立や独立という方向では機能しない。
皆と同じ方向を向くことで機能している。
それに[あいまいさ]も日本人には必要なもので、日本人には[ハンドルの遊び]のようなものがあるので、スピードを上げたり下げたり微調整しながら列車を時刻表通りに運行させている。
「風任せ」で検索すると。
その時のなりゆきにまかせて行動すること。「方針がなく風任せの運営」
「方針がない」という記述がある。
日本人は、ヨットのように風を受けて、周囲のヨットと同じスピードで同じ方向に進んでいる。
しかもヨットは、風上にも進むことができる。
イノベーションは、スティーブ・ジョブズのように周囲を出し抜くNo.1のみが勝者で、No.2は敗者に過ぎないと言う。
そして日本人は、そのNo.2だけど。
優秀なNo.2で、ちゃんとついていく。
そして王貞治や星野伸之は[成功例で変なことをしている]とか「才能は理解されず批判されている。」「評価されるまでに何十年もかかっている。」と教えれば、[あいまい]で、なにかと時間のかかる生徒は自信が持てるのかも知れない。
スティーブ・ジョブズとは正反対な[あいまい]で考える幅があって、時間がかかる、それも大切なイノベーション能力かも知れない。