言葉が話し相手の胸に響くと言葉は意味を増していく。
「古池や蛙飛び込む水の音」
「古池」や「蛙」に、それ以上の意味はないけど、芭蕉の句を読むと、それ以上の意味を感じてしまう。
日本語で考えると、俳句のように言葉は意味を増していく。
日本語は言葉の持つ意味以上のものを感じることがあって。
「古池や蛙飛び込む水の音」
この句は、読者を解放して、自由に空想させて。
読者は言葉の持つ意味以上のものを感じている。
それが日本人のイノベーションかも知れない。
イノベーションは未来だけど。
理論は古くなるけど、芭蕉の句は新鮮な空想を誘っている。
これは!あいまいな日本語ならではの特徴かも知れない。
この句を読んで、とりあえず感じたことを日本語で表現してみると良い。
年齢を重ねると、芭蕉の句は意味を増していく。
[感情]は伝わりやすく、群れる動物は一匹が警戒音を発すると、群れはアッという間に巣穴に逃げ込んでしまう。
「誰かが気付けば良い。」
「自分が気付かなくても良い。」
意思疎通で、感情は理性の上に位置している。
群れる動物は、思考回路を共有している。
『クリミナル・マインド FBI行動分析課』を見てると、プロファイラーは「おそらく、こうなる」と犯罪者の行動を予測している。
「どうして犯罪者の行動が予測できるんだろう?」
犯罪者には、もう選択肢がなくなって、仕方なく、そうしている。
犯罪者は[負の思考力]で行動している。
犯罪者には余裕などなく、追い詰められているので、消去法で考えれば、犯人像が浮かんでくるのかも知れない。
何種類かの行動パターンを想像して。
その中から絞り込んでいくというアメリカ的なやり方はプロファイリングに向いているのかも知れない。
「古池や蛙飛び込む水の音」
芭蕉は、この句を読む人が自由に、いろんな想像をしてくれることを望んでいる。
しかも日本人は、周囲の空気が気になる。
日本人の感情は、周囲に影響されて[気付き]につながっていく[正の思考力]なのかも知れない。
ピアノは波長の合う弦同士が共鳴して味わいのある音がするらしい。
日本人もクローン人間のように均一で波長が合っているので共鳴して、理解は深みを増していく。
そんな日本人の個人差や能力差は欠陥品を意味しているのかも知れない。
「右に打て」とか「玉持ちが良い」と言っているけど、しかし!よく分からない?
日本人は、そんな会話を繰り返して、考える共通の基盤ができているので
「誰かが気付けば良い」
ヒントも共有して、常に同じレベルで理解は進んでいる。
キャラバンのように足の遅い人にスピードを合わせているけど「誰かが気付けば良い」「自分で気付かなくても良い」という他力本願な思考力で理解のスピードは速くなっている。
場の空気を読んで!日本人の従属性は主体性の上に位置しているのかも知れない。