エジソン少年は粘土をイメージしたため「1+1=1じゃないの?」と言っている。
まず[1+1=1]という結論から考えていると言っても。
いきなり[1+1=1]と言われても理解できない。
エジソン少年は粘土というイメージを、あいだに挟んだことで[1+1=1]という答えを導きだしている。
荒川コーチは手首の使い方で「右手を、かぶせる。」と言う。どこか手首を、ひねらないイメージがあって常識では理解できないけど、日本刀は手首をひねらない。そして日本刀のイメージでバットを振ると後ろで小回りして、そこから前で大回りする形ができて、納得できる説明が後付けされていく。
いきなり「手首をひねらない。」という考え方をしても、すぐに行き詰ってしまうけど、日本刀をあいだに挟むことでスッキリと説明できる。
周辺にある知識を[あいだに挟む]と良いみたい。
「古池や蛙飛び込む水の音」
「古池」や「蛙」に、それ以上の意味はないけど、相手も胸に響くと言葉は意味を増していく。
入試が記述式に変わると、日本語は[あいまい]だけど情緒的な言語で「うん?」「なに?」そして何かを連想させると効果的なのかも知れない。
空想は言葉の意味を超えていく。
日本人にとって[感情]は理性の上に位置しているのかも知れない。
そのためにも出題者の[期待感]が何処にあるのかが重要になってくる。
単語一つの答えを見ても、何も感じられない。
むしろ生徒のホップ・ステップと弾んでいく[連想]に可能性を感じるはず。
スタート地点から順序正しく考えると、非常識で非科学的な考え方は、まずしないし、しても行き詰ってしまう。
だからといって、答えから考えても行き詰る。
しかし!
周辺にある知識がキーワードになって、アッという間に納得できる説明まで思い付いている。
王貞治や星野伸之は[成功例で、変なことをしている]
「なんだろう?」と形を真似てると、ついつい周辺の知識を思い出す。
長嶋茂雄は自分のことを「天才!」「スーパースター!」と夢みたいな妄想をして、それは実現している。
[ひらめき]に必要なものはホップ・ステップと弾んでいく[期待感]かも知れない。
イノベーションは未来で、思い描くイメージ力が決め手になっている。
それは夢のような願望で良いのかも知れない。
空想や妄想は、常識や科学を軽視している。
NHKの番組で「人は、ぼーつとしている時に、ひらめく。」と言っている。
それは風船のように[期待感]は膨らんで、大きな空欄が生まれると「この気持ちを、なんて表現したら良いんだろう?」と説明するための言葉が必要になって、とりあえず!周辺にある知識がハマっていく。
日本語は、俳句のように、人の胸に響くと意味を増していく。
[ひらめき]に必要なものは、[期待感]で膨らんでいく感情かも知れない。
結論は科学でないと意味がないけど。
入口は、そんな夢のような願望で良いのかも知れない。
いきなり科学を言うから迷路になってしまうのかも知れない。