ある日本人の女性がアメリカの大学に留学して「この学者の本を読んで批判しなさい。」という課題を出されたという。
批判することで、話は流動化し始める。
批判は流動化させるための、一つの方法かも知れない。
「正しい」という見方では固体化して、表面しか見えなくなってしまう。
流動化すると特徴が見えてくる。
動くことで特徴が見えてくる。
王貞治や落合博満からバッティングのコツを会得するためには「あの形を見てはいけない!」あの形を見ても何も気付くことはできない。
静止画のような二次元ではなく、三次元・四次元の方が分かりやすい。
日本人は間(ま)が好きだけど。
二次元の静止画では間(ま)は見えない。
流動化で、気付くことができる。
戦後の日本やドイツは、敗北感や挫折感で従来の常識や科学は価値をなくし否定してしまう。
もう現実は見たくない!
成功を夢見るしかない!
そんな新しい考えに対する、かつぼう感から空想ばかりしている。
人は不安で考える。
現状が不安で、答えが必要になってくる。
動物の学習は何が危険か学ぶことが、ほとんどで、それは危機感や拒否反応で学習能力は覚醒している。
危機感は自分の判断力よりも優先順位は上で、一匹が警戒音を出すと、群れはアッという間に巣穴に逃げ込んでしまう。自分で判断する余裕などない。
ユダヤ人に学者や音楽家が多いのも、そんな危機感や多民族を敵視する否定的感情から、思考に強い方向性が生まれてくる。そんな否定的感情から全ての知識はその方向を向いて、思考を補ってくれるのかもしれない。
しかし!
ユダヤ人は被害者意識が強く多民族を敵視して戦争は終わらない。
ユダヤ人に共存共栄という美意識は、まったく無い。
ユダヤ人は[負の思考力]で考えている。
動物も人も恐怖心や敵対感情で学習能力は敏感になる。
しかし!
日本人の群れるDNAには、キャラバンのように足の遅い人に歩調をあわせる一体感や同情心というハーモニーがある。
ただ!漠然とした不安感で日本人は右傾化している。
不安で、スルーできない。
ある日本人の女性がアメリカの大学に留学して「この学者の本を読んで批判しなさい。」という課題を出されたという。
批判することで、話は流動化し始める。
批判は流動化させるための、一つの方法かも知れない。
時には感情は理性よりも上に位置して、感情は否定的で、破壊的で、常識さえも壊してしまう。
そんな感情で流動化し始める。
日本人は漠然とした不安感で右傾化している。
日本の教育は「教科書は正しい。」と固定化している。
そうではなく!
学者によって書き換えられて、流動化すると、日本人は慌てて、ついていくような気がする。
日本人は自分だけ置いていかれるのが不安で。
日本人は流動化に反応する。
偏差値という固定化で、変化しなくなって、日本はデジタル技術で周回遅れになってしまった。
「もう、みんな出発してるよ。」と言えば慌てて、ついていくような気がする。