あえてアルゴリズムとマニュアルを分けて考えると面白いのかも知れない。
ファーストフードではマニュアル通り作業することで料理人と同じ味のフライドチキンが作れる。
それとは対照的に、一本足打法のコツを会得すると、バッティングフォームは十人十色でバラバラになってしまう。
マニュアルは同じ味、同じ商品が作れる利点はあるけど、職人は育たない。
マニュアルは、何も変わらないことに意味があって、アルゴリズムを理解すると応用力が身について変化してしまう。
マニュアルは作業の手順だけ教えている。
「手順」で検索すると。
物事をする時の順序。段取り。
「―を踏む」
一本足打法は周辺の知識と関連付けることで『王貞治物語』が完成していく。
日本刀のイメージでバットを振るとヒントは山ほど見つかる;
日本刀という名詞は動詞になっいく。
「名詞」で検索すると。
時間の経過と関係のない概念を表す語である。
それが動詞のように時間の経過で変化している。
時間の概念が加わって、二次元・三次元が四次元になっていく。
人の記憶力は、何かと関連づけて[一体化]することで容易に記憶できる。
それとは反対に、コンピューターは「♯」ハッシュタグをつけて[分類]することで記憶は便利に使用できる。
そして走力という限定的な能力も、それをまた短距離からマラソンまで[分ける]ことで見えてくる。
「分類」で検索すると。
分類とは、 ある基準に従って、物事を似たものどうしにまとめて分けること。 物事を徹底的に区分し、類種系列の形をとった体系を形成すること。
教育でも、進化して変化するアルゴリズムと変化しないマニュアルを分けると考えると日本の教育の問題点が見えてくる。
そして偏差値という[分類しない]総合力で能力が見えなくなってしまった。
コンピューターは、数学をマニュアル化することで、計算力で人を凌駕している。
エジソン少年は粘土と関連づけたため「1+1=1」と解は変化してしまった。
[計算力]と[数学を考える力]に分けると、正反対な能力に思えてくる。
日本の数学教育は、ファーストフードのアルバイト学生のように、マニュアル化している。
もう教える側も生徒も説明を必要としないものになっている。
このままでは教師も数式の意味が分からなくなってしまう。
有名人で検索すると子供の頃「〇〇障害児」だったという記述が気になる。
そもそも才能は常識外れで規格外で、評価することが間違っている。
有名な画家は精神を病んで、有名な小説家には自殺者が多い。
スティーブ・ジョブズは人格障害なのかも知れない。
イギリス人は評価能力が優れて、問題点を追及して許さない。
主体的な評価能力に弱点のある日本には“まとまり”があって、評価能力の優れたイギリスはバラバラになってしまった。
コインの裏表のように才能と欠点・欠陥は一体のもので、才能を言うのなら、裏返せば良いのかも知れない。