この20年以上日本人がイグノーベル賞をとり続けているけど、あまりにも疑問や研究テーマが小粒過ぎて、最初っから成果が期待できないものが多い。
その原因は、偏差値型の優等生は飲み込みが速くて、簡単な説明だけで納得している。
結果的に、我々には専門用語の羅列で「何を言ってるのか分からない。」
むしろ!
「うん?」「どういうこと?」
そんな疑問が考える動機になっていくのに、日本の教育では、そんな生徒は頭が悪いという見方をされ、独自の解釈をすると、ピントの外れた子と酷評されてしまう。
専門用語を羅列して自己満足をしているのは、クイズ化したテストが原因かも知れない。
ただ!
「うん?」「どういうこと?」
と分からないのは、やはり欠点なのかも知れない。
そして!
独自の解釈をして、変化していくのは、間違った認識をしてしまう、認識障害なのかも知れない。
NHKの『ダビンチ 万能の男の見た世界』で、あらためてモナリザを見ると、彼は写実性に価値を感じている。
彼は万物を正確に認識している。
「万物」で検索すると。
宇宙の、ありとあらゆるもの。
彼は宇宙の、ありとあらゆるものを正確に、写実的に、認識している。
番組内で「彼の発案した兵器には実用性はない。」「彼は評価してもらいたくて、デザインをしている。」と解説をしている。
その時代の指導者に評価してもらいたくて、指導者の価値観に合わせてデザインしている。
日本のテストも、まったく同じで、出題者が問題から答えまで決めて、生徒の価値観や発想を問うテストではない。
案外!ルイスキャロルは、常識人で、リアリストだったのかも知れない。
「リアリスト」の対義語で検索すると。
「リアリスト」と反対の意味を持つのは「ロマンチスト」です。
同じ意味の単語に「夢想家」があり、「現実出来そうもないことばかりを考える人」を指します。
ルイスキャロルは、よくよく個人的な事情で、現実から遠く離れた架空の世界を夢想しているけど、もともと彼は極めて常識的な発想をするリアリストなのかも知れない。
ピカソも子供の頃は写実的な描写力で才能を発揮していたけど、精神を病んで抽象画家になってしまった。
常識外れな天才達は、もともとは常識人だったのかも知れない。
それが、なんらかの不幸に見舞われて夢想家になってしまった。
NHKの『ダビンチ 万能の男の見た世界』の中で、「モナリザは生きてるとしか思えない。」とコメントしている。
「モナリザ」を見てると写真を超えた写実性を感じるのかも知れない。
天才達は「うん?」「どういうこと?」と我々以上に挫折しても、天才達は本当は常識人で、リアリストで、写実的にものを見ているのかも知れない。
江川卓の速球は上ずってしまう。
そんな欠点(✕)を評価することで才能が見えてくる。
しかし!
もともと高めの速球は打てないという考え方が正しくて、今まで、それに気付かなかっただけで、同じように天才達は、もともと常識人でリアリストなのかも知れない。
個人的な事情で『不思議の国』に逃避しているだけなのかも知れない。
✕が〇に変わったというよりも、もともと天才達の考えの方が正しくて、我々は、それに気付かなかっただけで、天才をテストをすること自体、身の程知らずで、こうがんむちな態度なのかも知れない。
「何のためにテストをするの?」
「失敗するだけじゃない。」
この20年以上日本人がイグノーベル賞をとり続けているには、その象徴かも知れない。