「アイツは嘘つきだ。」という悪口を聞かされると、知りもしない人が嘘つきに見える。
それは偏見で判断力を、ゆがめた見方だけど!
江川卓の速球は高めに浮いてしまう。
それは「高めに投げるな!」という常識で見ると欠点にしか見えない。
しかし!
「江川卓の、高めの速球は打てない。」と気付いて、そんな先入観で見ると打てない様子が見えてくる。
「高めに投げると、打たれる。」という先入観で見てると気付かないのに、「江川卓の高めの速球は打てない。」という[二つ目の先入観]で見ると、それは見えてくる。
色眼鏡で人を見るのは偏見で、欠点しか見えてこないけど、[二つ目の色眼鏡]で人を見れば才能が見えてくるのかも知れない。
エジソン少年は粘土をイメージしたため「1+1=1」という答えを出している。
「1+1=2」という唯一の答えが計算力で、「1+1=1」という二つ目の答えが[数学を考える力]で、人の知能は[二つ目]がキーワードかも知れない。
もしもコンピューターが二つ目の答えを出したら、それは故障している。
むしろリンゴをイメージすれば「1+1=2」かもしれないけど、粘土をイメージすれば「1+1=1」という[二つ目の答え]が現れてくる。
ブロックチェーンは完成予想図(答え)から考える方が効果的なのかも知れない。
ブロックチェーンは二つ目の完成予想図をイメージすることから始めれば良いのかも知れない。
『ローマの休日』を書いた脚本家のトランボは赤狩りで祖国を追放され、可能性を絶たれてしまう。
彼には[答え]が必要で!
彼の気持ちは、水中の泡のように、空気は水と混ざり合うこともなく浮き上がって空気中に放出されている。
もしも評価され、受け入れられると周囲と混ざり合っていくのに!
彼の気持ちは周囲と分離している。
オードリーヘップバーンの一言一言にリアリティーを感じてしまう。
トランボの、社会から孤立し分別されていく気持ちにはリアリティーがあって、しかし彼にとって孤立していく様子は見られたくないものだったのかも知れない。
アラン・チューリングは同性愛者で、当時のイギリスでは精神病の一種として忌み嫌われ、周囲と混ざり合うこともなく、彼の気持ちは周囲と分離してしまう。
唯一の友人との会話に暗号が必要で、彼は[答え]から考えている。
もしも!
彼が同性愛者でなかったら、計算は、アッという間に終わって、彼は有名な数学者には、なれなかったのかも知れない。
アラン・チューリングは同性愛者で、彼の数学は、終われないのかも知れない。
彼らは社会から孤立して[二つ目]の違う結論から考えているのかも知れない。
共産主義者とか同性愛者という色眼鏡で人を見るのは偏見で、欠点しか見えてこないけど、彼らは祖国から邪魔者扱いをされ孤立しているという[二つ目の色眼鏡]で学者を見れば、彼らの能力の源泉が見えてくるのかも知れない。