日本人は気の合う仲間と一緒にいるのが好きで、長旅も苦にならないのかも知れない。
一人では何もできないけど、気の合う仲間と一緒にいると、気持ちは大きくなって積極的になっていく。
そして、誰かが何かに気付くと、そんな一瞬の変化に感化されて、まるで自分で、ひらめいた様に感じて
「誰かが気付けば良い!」
日本人は精神的な距離感が近くて、誰かの何気ない一言がヒントになって、まるで玉突きのように突き動かされていく。
空気を読む日本人は、誰かの何気ない一言を[ひらめき]に変えている。
日本人の群集心理は、中南米のようなカオスではなく、一つにまとまって、けっこう、あちこちから[ひらめき]が生まれている。
元々、日本人には長い時間軸で考える集中力と持続性があって、日本刀の様に高い精神性のある工芸品が生まれているのに、日本から仮想通貨を考えることのできる数学者が育たないのは「一分で答えなさい。」というテストが原因かも知れない。
そのうえ生徒を競わせて、生徒は孤立している。
欧米ではリベートで対立させて考えさせる教育には、迎合することを良しとしない、イエスマンを嫌う傾向があるけど、その点日本人には一体感があって、他人の何気ない一言がヒントになっている。
1+1=2~3と[足し算]で、仮想の世界をイメージしている。
むしろ長い時間軸で考えたり、日本人の群集心理には高揚感があって、話してると、フッと気付くことが多い。
「一分で答えることに、何の意味があるんだ?」
そして「何かを付け足しても、削り落としてもいけない。」という、足し算も引き算もない教育に何の意味があるんだ!
日本から仮想通貨を考える数学者が育たないのは、一段階しかないテストが原因かも知れない。
誰しも子供の頃は、漫画を夢中になって読んでいるけど、そんな非科学的な話を「面白い!」と感じることに意味があるのかも知れない。
コンピューターに漫画を読ませても面白さは分からないし、そもそもコンピューターに空想力はない。
仮想通貨を考える数学者には、漫画やSFのように広がっていく空想力が必要で、そんな非科学的な空想は、一段ロケットのように、やがて切り離すので非科学的な一面は気にしなくても良いのかも知れない。
人の思考力は、破壊があって創造がある。そして空想という広がりがあって、答えという絞り込みがある。
そんな矛盾した二段階で考えている。
そんな矛盾した二段階で考えることで、簡単にハードルを越えている。
誰しも子供の頃は漫画が好きで、非科学的な漫画は面白くて夢中になって読んでいたはず!
そんな非科学的な空想を「面白い!」と感じることに意味があるのかも知れない。
コンピュターには漫画を読ませても面白さは分からないし、そもそもコンピューターに空想力はない。
そんなところにAIの限界点があるのかも知れない。
漫画やSFを「面白い」と価値を感じたり!
やがて、そんな空想を切り離すのは人がやるしかないのかも知れない。
AIの研究が進むと、非科学的な漫画やSFを「楽しい」と感じるのが[知能]に思えてくるのかも知れない。