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国語のテストで読解力を問う問題があるけど「読解力に正解があるのは、おかしいんじゃない?」

 

人の理解力は[二番目]に現れてくる。

 

今、世界中で差別に反対するデモが起こっている。

 

トランプのような自己中な指導者が増えて、その反動として差別に反対するデモが起こっているのかも知れない。

 

人の理解力は[二番目]に現れてくる。

 

振り子は一方方向に振れ、やがて傾きという[負のエネルギー]が蓄積して、振り子は傾きに耐えられなくなって、一気に反対方向に揺れている。

 

国語のテストで読解力を問う問題があるけど「読解力に正解があるのは、おかしいんじゃない?」

 

「振り子のように極端から極端へ、変化していくことで、リアリティーを伴って、ものを考える事ができるんじゃないの。」

 

その点、日本語は連想の働く言語でホップ・ステップと弾んでフッと[ひらめく]ことが多いし、振り子のように真逆に振れると[一対]の概念の好きな日本人の感受性のスイッチが入っている。

 

正常進化もすれば、正反対な方向にも変化もしていく。

 

日本人は、どんな変化にも、ついていく優秀な二番手で、大多数は、その方が好ましいはず。

 

日本の教育には正解があって、それしか認めない。

 

むしろ周囲を出し抜く、少数の才能がいて、変化についていく優秀な二番手の長所が発揮できる。

 

むしろ優秀な二番手の能力は、大きく変化する環境の中で発揮される。

 

変化しない、動かない状態では「主体性がない。」「何も考えていない。」という欠点ばかりが目立ってしまう。

 

計算力で能力を測ると、どうしても[一つの正解]しか認めないけど、数学を考える力を問うと、エジソン少年のように「1+1=1」という予想外の答えに「そうか!」「間違っては、いないな!」それは振り子のように、極端から極端に揺れると[一対]の概念の好きな日本人は「面白い!」とスイッチが入っていく。

 

「日本は仮想通貨で出遅れている。」「もう外国は、先に行ってるよ。」という印象を与えると、慌てて、ついてくるのかも知れない。

 

仮想通貨を考えることのできる生徒は、各年度に一人くらいは、いるんじゃないの。一人でもいいから周囲を出し抜く数学者を育てることができれば、日本人は優秀な二番手で、慌てて、ついていく。

 

とりあえず、ついていく事に意味があって、ほとんどの場合、説明は後付けされている。

 

むしろ「どういうこと?」と疑問が深い程「なるほど!」「そういうことか。」と、その答えに、ありがたみを感じることができる。

 

とりあえず山に登ってみれば周囲が見えてくる。

 

もしかして、周囲を出し抜くのは才能でなくても良いのかも知れない。

 

何かが生まれてくるのは偶然が多い。

 

偏差値を権威付けした日本の教育からは偶然!なにかが生まれてくることもなく、ますます権威主義的になって、現状維持を望んで、なにも変化せず、ますます「主体性がない。」「何も考えていない。」という欠点ばかりが目立ってしまう。

 

記述式の数学は、そんな権威主義を壊して変化すると、日本人は優秀な二番手でフレキシビリティーを発揮して、大成功するような気がする。