「インスピレーション」で検索すると。
神の啓示に導かれたかのようにひらめいて高まる、精神の働き。霊感。
理解力は、そもそも二次的な能力で、二番目に現れる.
[ひらめき]も、何かからインスピレーションを得て出現するもので、二次的なもので、それなら日本人は無表情な能や余白の多い日本画を見て[さっして]感じる、二次的な能力は元々優れている。
フェラーリーのデザイナーは常に何かからインスピレーションを得ようとしている。
[ひらめき]もインスピレーションも、記憶のように脳に張り付けるものではなく、むしろ切り離されていくもので!
幼児の「あれが欲しい!」「イヤだ!」という自我は、美意識の目覚めなのかも知れない。
ヨーロッパの小学校では何がしたいのか児童に尋ねて「絵が描きたい。」と言えば絵を描かせて「本が読みたい。」と言えば読ませて、子供たちの意志を育てる教育をしている。
本を読むためには国語を勉強しなければいけないし、絵を描くためには日常的に観察しておかないと絵は描けない。
自我の目覚めが、学習意欲につながっていくのかも知れない。
ルノアールは「腐った肉のようだ。」と酷評されてしまった。
ルノアールは生前、まったく売れなかった絵が、今では何百億円も出さないと買えない。
もしかして美意識は、他人が「美しい」と言うものを「美しい」と感じて、好かれるものを好きになるなのかも知れない。
日本人は二次的な能力が優れている。
ルノアールは「美しい」という刷り込みがあるから「美しい」と感じるのかも知れない。
日本人は自我が弱くて、影響されやすいのは欠点かも知れない。
しかし日本はアメリカと激しい太平洋戦争をしても、いまでは同盟国になっている。
そしてラグビーのWカップでも、日本人は日本を破った南アフリカの優勝に祝意を表している。
日本人は自我が弱くて、影響されやすいという欠点かも知れない。
しかし、これ程の影響されやすさは、もう日本人の美徳と言っても良い。
外国人にとって群集心理はカオスでしかなく、自我は対立感情を増幅させている。
しかし日本人の群集心理にはハーモニーがあって、同じ方向を目指している。
スティーブ・ジョブズにとって[自我]は創造力であって、そして対立感情につながっていくカオスだけど、日本人の群集心理にはハーモニーがあって[自我]の副作用が出にくく!
才能は個人差のことだけど!
偏差値という序列化は孤立化するだけで意味がない。
しかし幼児の「アレが欲しい!」「イヤだ!」という自我はスティーブ・ジョブズのようにイメージ力を育てる手段として、肯定的に考えるべきなのかも知れない。