アルゴリズム 11 | エイジのブログ

エイジのブログ

ブログの説明を入力します。

ベートーヴェンは、もう耳が聞こえない。

 

「失意」で検索すると。

 

希望や志が実現せず、がっかりすること。

 

しかし!ベートーヴェンは失意のなかで有名な曲を作曲している。

 

幸福感や満腹感は変化を望まないけど、空腹感や挫折感を感じている時、現状維持は最悪で、もう空想するしかない。

 

そしてベートーヴェンの空想のドアは開いて、我々も聞くことができる。

 

数式は[○○の理論]のように、一数学者の空想で、別の数学者は違う空想をしていて。そこには違う答えがあるはず。

 

しかし日本の教育には、必ず正解があって、答えが一つしかなく、それ意外の答えには×をつけられてしまう。

 

数学者の空想力でドアが開いて、その中を見ることができれば、数式には法則というアルゴリズムがあって数学者と同じ思考回路で考えることで、数学者に便乗して考えることができるのかも知れない。

 

むしろ数学をSFとして感じることで、数学は楽しくなるのかも知れない。

 

日本のマニュアル数学に空想は必要ない。

 

俳句は、俳人に気持ちを同期させて読んでいる。

 

日本人は花見に[小さな幸せ]を感じている。

 

そんな、ありふれた日常生活に[幸せ]を感じる日本人だからこそ。

 

仮想現実の世界には入り口があって、ベートーヴェンや『不思議の国』は、そのドアを開けて中を見せてくれる。

 

どういう心境の変化なんだろう?

ベートーヴェンを、すぐ側に感じる。

 

[そば]で検索すると。

 

1.近く。かたわら。ほとり。

2.時間の隔たりがないこと。

 「教わる―から忘れる」

 

ベートーヴェンや『不思議の国』には五次元のドアが、すぐ傍にあって、それを開けて見せてくれる。

 

日本の数学は二次元の数学で答えしか見ていない。

 

二次元数学には空想はなく、空想のドアもない。

 

しかし!

日本人は花見に一体感を感じている。

 

そして俳句は、俳人に気持ちを同期させると、空想のドアは開いて、その中を見せてくれる。

 

一体感を感じやすい日本人だからこそベートーヴェンや『不思議の国』を、すぐ傍に感じることができるのかも知れない。

 

そして数学が記述式に変わると、もう二次元数学にも興味はない。

 

数学の計算は、入口ではなく出口で、日本の数学教育は出口から入っているのかも知れない。

 

数学のアルゴリズムを言うのなら、ルイス・キャロルは数学者で!

 

数学はSF小説として入口のドアを開けると[法則]が見えてくるのかも知れない。