ヨーロッパの小学校では、児童に何がしたいのか決めさせている。
「絵が描きたい。」と言えば描かせて。
「本が読みたい。」と言えば読ませている。
この教育は成功するような気がする。
絵を描くためには、描く対象を、しっかりと観察しないと描けない。
本を読むためには字を覚えないといけないし、読むことで語彙が豊富になっていく。
会話は聞き手がいて成立している。
上の空の相手に話しかけても会話は成立しない。
「上の空」で検索すると。
だれる ・ 身が入らない ・ たるむ ・ 気が緩む ・ ダラダラする ・ 緊張感がない ・ 緩慢な ・ ハリがない
もしも母親に話しかけても、母親に受け止める気のないと、言葉はバックネットの方に転がっていってしまう。子供は言葉を見失って、語彙の少ない子になってしまう。
しかし言葉が母親の胸に響くと、言葉は意味を増していく。
小学生の入選作文を読んで、美しい文章に感心したことがあって、その子は「もっと、お母さんと話したい。」という思いがあって、その気持ちを表現するための言葉が必要になって、語彙が豊富な子になっていったのかも知れない。
どうしても否定的な目で見る母親だと、気は重く、言葉が思い浮かばなくなってしまう。
会話は聞き手がいて成立している。
うわの空の母親に話しかけても会話は成立しない。
子供の書く文章を読んでると、母親との人間関係が見えてくる。
子供の作文には、もっと話したいという気持ちの貯金が必要で、あわてない方が良い。
日本人は桂離宮のように時間がゆっくりと過ぎていく時代に日本の文化は生まれている。
現代と違って、時間がたっぷりとある時代に、時間を贅沢に無駄使いしながら、気持ちは貯金されていく。
龍安寺の石庭も答えを求めてはいない!長い時間軸で考え続けることを求めている。
外国では群集心理はカオスでしかないけど、ラグビーのWカップのように、日本人の群集心理から、日本人だけでなく外国人選手も外国人の観客も一つにまとめるハーモニーが生まれている。
TVで野球中継を見てると解説者は皆と同じことを言ってる。
歩調を合わせているとホップ・ステップと弾んで、フッと気付いている。日本人の群集心理にはハーモニーがあって、フッと気付いている。
そして、ついつい語りたくなってくる。
それが日本人の考えるスイッチかも知れない。
日本人には群集心理という、もう一つ思考力があって。
日本人の能力は、群集心理から[方向感覚]が現れてくる。
誰しも幼児期は「あれが欲しい」「イヤだ!」と自我の塊で、ヨーロッパの小学校のように、やりたいことをやらせる教育は、何がしたいのか、何が必要なのか[イメージ力]を育てることで、日本から協調性のあるスティーブ・ジョブズを育つような気がする。
桂離宮には古い建築様式と未来的なデザインに長い時間軸があって、ずっと見ていたい。
答えを求めてはいない。
長い時間軸で考えることを求めている。
記述式の試験は、より日本的なものになっていくような気がする。