大学入試 56 | エイジのブログ

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国語の読解力を問うのに「正しく理解しているのか。」という判断に疑問を感じる。

 

行間を読むというのは、直接的な表現は無いけど[さっして]解釈した部分が本当に伝えたい部分で、裏読みをするしかない。

 

ときおり聞く話で「氷が解けたら何になりますか?」との先生の質問に、ある子が「氷が解けたら春になります。」と答えたという。

これは日本人の好きな話だけど、この子は理科の質問に国語で答えている。

 

アメリカ人にとって国語力は論理的な表現力かもしれないけど、日本人にとっての国語力は[さっして]言葉を付け足していくことで正確さではない。

 

日本語は連想が働いてホップ・ステップと弾んで、フッと気付く!

 

国語の読解力を問うのに「正しく理解しているのか。」という判断に疑問を感じる。

 

国語の能力に模範解答があること自体が間違っている。

 

国語の能力は文才で、芸術的な才能で、テストはバカげている。

 

ベートーベンは耳が聞こえなくなってから有名な曲を作曲している。

 

ピアノの音が聞こえるとピアノの音が空想の限界点になってしまう。

 

ベートーベンは、もう音が聞こえない。

彼は耳が聞こえなくなって楽器の音色という限界点は無くなって、美意識は自由に広がっている。

 

人の美意識は、楽器の音に付け足され部分で、もう感じるしかない。

 

しかし!

音の聞こえないベートーベンを想像すると、共鳴して、今まで聴いたこともない美しい曲が聞こえてくるはず。

 

イノベーション能力をいう時、周囲を出し抜く才能は少数いれば十分で、大部分は周囲に歩調を合わせる常識人が好ましい。

 

そして未来人をイメージした時、未来人は、まるでクローン人間のように画一的で、テレパシーで会話をしている。

 

クローン人間にとって個人差は欠陥品を意味している。

 

才能は個人差のことで、未来人に才能の概念は当てはまらず、むしろ能力差のない日本人は進化したタイプなのかも知れない。

 

日本人は、ニュータイプと言っても良いのかも知れない。 

 

あえて日本人を序列化する偏差値はバカげている。

 

そして、それは変化に、ついていく資質で、既存の模範解答を答えさせるテストもバカげている。

 

記述式の試験が話題になっているけど、今の日本に必要な人材は、周囲を出し抜くイノベーション能力で、自己中のスティーブ・ジョブズは[一人]いれば十分で、日本人の多くが、ベートーベンを聴いて、今まで聴いたこともない美しい音楽が聞こえてくる芸術性が理解できればイノベーションは、ちゃんと機能するはず。

 

未来人の能力は個人差ではなく、言わなくても通じるテレパシーの様な会話能力で、日本人は、すでに備えている。

 

日本人のイノベーション能力を問うのなら、ベートーベンを聴かせて「何を感じる?」と尋ねた方が良いのかも知れない。