日本の教育は目標の設定が間違っている。
英語は生徒全員が英会話できることで成功と言えて、数学は仮想通貨が設計できる。新しい数学を考える事のできる数学者を毎年一人育てることができたら大成功!99%の生徒が仮想通貨が理解できなくても何の問題もない。そして日本語は[あいまい]だけど雰囲気で伝える言語で連想が働いて連想ゲームのように言葉と言葉が関連付けられていく、考えるための言語で活字化することでハッキリと、それを認識できる。
イチローの振り子打法は偶然生まれている。そして投手の腕を見ることで次第にバッティングフォームは似てくる。
一本足打法はリズムを真似ると次第に形が似てくる。
しかし形が似てくるのは結果で!
形を真似るのは入り口ではなく、入り口は別のところにあって、そこから入ると結果的に形が似てくる。
形を真似るのは入り口ではなく出口で、しかし真似ることでコツを確認するのなら賢いやり方かも知れない。
日本の教育は目標の設定や学習方法が間違っている。
そして日本人は評価が甘くて正確ではない。
TVで外国人のエコノミストの分析を聞くと評価のきびしさを感じる。
しかし、反面で欧米人は個人の才能に依存している一面ももっている。
それは、人にきびしい評価能力だったり、常識を飛び出していく仲間外れの考えだったり、日本人とは正反対の能力で。
しかもアメリカ人は自分達に有利なルールを自分勝手に作ってしまうのに、日本人は受け身でルールを自分達で作るという発想が欠けている。
アメリカではスティーブ・ジョブズやザッカーバーグそしてロックフェラーのように強欲で性格の悪い人間が成功している。
このままでは日本は敗北者にしかなれない。
日本人は協調しようとする気持ちが強く、疑う気持ちが足りなくて評価があまい。
やはり日本人の発想は、お互い教え合って生まれてくる。
均一で同質な日本人は、皆に合わせようとして流れが生まれる。
流れに逆らうことに、自ら仲間外れになっていくような疎外感を感じてしまう。
自分だけ置いていかれるのを恐れて、ついていく!
日本人は、そんな流れに流されなが同じ方向を向いている。
むしろ、そんな日本人は外国が信用できなくて不信感や不安感が醸成されていくと、益々一つにまとまろうとして一体感を増していく。
江戸時代の末期にアメリカから黒船がやって来て、幕府は存続の危機を迎えると、各大名に意見を求めている。そして各藩は末端の武士にまで意見を求めている。
日本人は不安になって「どうすれば良いんだ。」と意見を求めている。
日本人はイノベーションで敗北感を感じている。そして一体感の持てない外国人が信用できない。
元号が慶應から明治に変わったように、今の日本も平成から令和に変わって!
時代の変わり目に、記述式の試験は必然で、日本人は人の意見を聞きたくて、それは従来通りの答えではなく、新しい答えを聞きたいのかも知れない。