アメリカは一人で頑張るしかない国で、日本は一人では何もできない国かも知れない。
アメリカ人にとって、人を出し抜くことが成功で、日本人は[出る釘は打たれる]と不安になってくる。
アメリカでは一位のみが勝者で二位敗者に過ぎないけど、日本人は横並び意識が強く、一億人もの人口があっても“まとまり”があって管理社会が機能している。
英語は結論から言い始めているので、会話にはスピード感があるけど、日本語は時間をかけることで俳句のようにホップ・ステップと弾んで読者に[ひらめき]を与えている。
英語は確定する言語で終着駅で、日本語は繰り返していると連想が働いてフッと気付く始発駅。
あえて!
両者は対極のもの。
並び立たないものと考えると面白い。
「二者択一」で検索すると。
「2つの内のどちらかを選ぶ」という意味です。
「二者択一」と反対の意味は「選べない」というものです。
とのこと。
王貞治の言う「ボールを長く見る。」という言葉にリアリティーを感じて「それなら、投手はボールを短く見せれば速く感じるのか?」
英語は、そうとしか解釈できない言語だけど、日本語はストライクゾーンが広く!
一方方向に大きく揺れると、反対方向に大きく揺れ戻す力が働いてくる。
時間さえかければ!
反対方向から反対方向へと、広いストライクゾーンを利用して考えることができる。
雑誌で、第二次世界大戦中のドイツは画期的な発明をしているという記事を読んだ事がある。
敗戦という絶望感の中にいると「既存の価値観は、どうでも良い!」もう!夢を見るしかない。そんな心理状態で空想は現実化していったのかも知れない。
ベートーベンは耳が聞こえなくなってから有名な曲を作曲している。
ドイツのTVでは、人一倍自尊心の強いベートーベンの挫折感について解説している。
ベートーベンは挫折感のなかで、もう現実を忘れるしかなかったのかも知れない。
空想は科学ではなく、夢をみることでもなく、絶望感からの現実逃避かも知れない。
天才でも、よくよくの絶望感でもない限り、非科学的な空想から創造力は生まれてこないのかも知れない。
星野 伸之投手は130キロ台の速球で176勝している。
説明できない話も[一対]という考え方を好む日本人は[常識]と[非常識]を並べることで、あっさりと受け入れている。
欧米人は、いきなり「yesなのかnoなのかハッキリさせろ。」と二者択一を迫ってくるけど、日本人は『里見八犬伝』のように八つの玉が揃って完成という考え方を好んで、正反対なものを並べて比較することに違和感はない。
常識があって、その正反対な考えを、あっさりと受け入れて、後は繰り返し繰り返し考えて時間さえかければ気付いている。
日本人は[あいまい]というよりも、ストライクゾーンが広いので「時間さえかければ!」これがキーワードかも知れない。