人は、うまくいかない理由を、すぐに他人のせいにするけど「それで良いのかもしれない。」徹底的に誰かのせいにしてみれば良いのかも知れない。
人は自己弁護で、ものを考えていることが多い。
「アイツのせいだ!」と執拗に責任転嫁をしている。
「それで良いのかも知れない。」
そんな責任転嫁は、[マイナスのエネルギー]だけど、一段ロケットとしてはエネルギーに満ちて、人工衛星を大気圏外まで打ち上げるパワーがある。
どうせ、そんな責任転嫁や感情論では軽蔑されるだけで、そんな意見には説得力はなく、他人に見せる時は理性で“お化粧”しなければいけない。
嫌悪感のような感情論にはパワーがあって、考える方向性もあって!
そして何でもかんでも「アイツのせいだ!」という先入観で見ると、全ては、そう見える。もう一歩掘り下げると、そこは別世界!
もう一歩、前に進むことができるのなら、そんなつまらない感情論でも良いのかも知れない。
そんな感情論を利用して一段ロケットを打ち上げて、最終段階では切り離して理性だけ残せば良い。
理性だけでは考えるパワーが足りなくて、感情論のように次々と思い浮かばない。
スティーブ・ジョブズは、まるで人格障害のように、自己中で、他人に対して嫌悪感が強く、自分の会社から追放されてしまった。
エジソン少年は、三か月で小学校を退学させられてしまった。
[負のエネルギー]を感じる。
「才能って何だろう?」
有名な画家は精神を病んでいるし、有名な作家は自殺している。
日本は世界一、常識人の多い国かもしれない。
そして常識的な考え方をする人が多くて、才能を育てるのが下手な国かもしれない。
ルノアールの絵を最初に見た評論家は、彼の絵を生理的に嫌っている。
しかしルノアールの絵は長い時間軸の中で、やがて印象派として認識されている。
ルノアールは、やがて印象派という新しい枠ができて、従来の写実的な絵とは違う見方が確立して、やっと評価されている。
コンピューターは、未だにルノアールが理解出来ていない。
もしもコンピューターが違う答えを出せば、それは能力ではなく故障している。
桂離宮は、結論を急がず、ゆっくりと過ぎていく時間の中で見てると、印象派として感じる。
多くの日本にとって、常識は守るべきものなのかもしれない。
しかし常識はイノベーションという技術革新の障害になってしまう。
責任転嫁や感情論には破壊的な[負のエネルギー]があって「アイツのせいだ!」と執拗に思い続けている。
理性には、そんな強いエネルギーや考え続ける持続性が無い。
イノベーションにはイメージ力が必要で、スティーブ・ジョブズのような強い[自我]が必要なのかも知れない。
日本人の様に空気を読んでると[自我]を失ってしまうのかも知れない。
しかし!
日本人は桂離宮を長い時間軸の中で見ている。
桂離宮は、結論を急がず、ゆっくりと過ぎていく時間の中で見てると、印象派として感じる。
桂離宮は古い様式と未来的でモダンなデザインが共存している。
そんな日本人のイノベーションは、ゆっくりと時間は過ぎていく時代に建てられている。