桂離宮 2 | エイジのブログ

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人は、うまくいかない理由を、すぐに他人のせいにするけど「それで良いのかもしれない。」徹底的に誰かのせいにしてみれば良いのかも知れない。

 

人は自己弁護で、ものを考えていることが多い。

 

「アイツのせいだ!」と執拗に責任転嫁をしている。

 

「それで良いのかも知れない。」

 

そんな責任転嫁は、[マイナスのエネルギー]だけど、一段ロケットとしてはエネルギーに満ちて、人工衛星を大気圏外まで打ち上げるパワーがある。

 

どうせ、そんな責任転嫁や感情論では軽蔑されるだけで、そんな意見には説得力はなく、他人に見せる時は理性で“お化粧”しなければいけない。

 

嫌悪感のような感情論にはパワーがあって、考える方向性もあって!

そして何でもかんでも「アイツのせいだ!」という先入観で見ると、全ては、そう見える。もう一歩掘り下げると、そこは別世界!

もう一歩、前に進むことができるのなら、そんなつまらない感情論でも良いのかも知れない。

 

そんな感情論を利用して一段ロケットを打ち上げて、最終段階では切り離して理性だけ残せば良い。

 

理性だけでは考えるパワーが足りなくて、感情論のように次々と思い浮かばない。

 

スティーブ・ジョブズは、まるで人格障害のように、自己中で、他人に対して嫌悪感が強く、自分の会社から追放されてしまった。

 

エジソン少年は、三か月で小学校を退学させられてしまった。

 

[負のエネルギー]を感じる。

 

「才能って何だろう?」

 

有名な画家は精神を病んでいるし、有名な作家は自殺している。

 

日本は世界一、常識人の多い国かもしれない。

 

そして常識的な考え方をする人が多くて、才能を育てるのが下手な国かもしれない。

 

ルノアールの絵を最初に見た評論家は、彼の絵を生理的に嫌っている。

 

しかしルノアールの絵は長い時間軸の中で、やがて印象派として認識されている。

ルノアールは、やがて印象派という新しい枠ができて、従来の写実的な絵とは違う見方が確立して、やっと評価されている。

 

コンピューターは、未だにルノアールが理解出来ていない。

 

もしもコンピューターが違う答えを出せば、それは能力ではなく故障している。

 

桂離宮は、結論を急がず、ゆっくりと過ぎていく時間の中で見てると、印象派として感じる。

 

多くの日本にとって、常識は守るべきものなのかもしれない。

 

しかし常識はイノベーションという技術革新の障害になってしまう。

 

責任転嫁や感情論には破壊的な[負のエネルギー]があって「アイツのせいだ!」と執拗に思い続けている。

 

理性には、そんな強いエネルギーや考え続ける持続性が無い。

 

イノベーションにはイメージ力が必要で、スティーブ・ジョブズのような強い[自我]が必要なのかも知れない。

 

日本人の様に空気を読んでると[自我]を失ってしまうのかも知れない。

 

しかし!

日本人は桂離宮を長い時間軸の中で見ている。

 

桂離宮は、結論を急がず、ゆっくりと過ぎていく時間の中で見てると、印象派として感じる。

 

桂離宮は古い様式と未来的でモダンなデザインが共存している。

 

そんな日本人のイノベーションは、ゆっくりと時間は過ぎていく時代に建てられている。