負の思考力で検索すると、答えが出ない状態に耐える能力という記述がある。
答えが出せないのは欠点でしかない。
しかし!
「なぜ?」「どうして?」と、トーマス・エジソン少年には分からない。
そんな答えを見失っている状態は深刻で、エジソン少年は答えを探している。
「分からない?」という飲み込みの悪さが、考える動機になっている。
答えが出せないのは欠点だけど!
「分からない?」という行き詰まりは、考える動機になっている。
そして、くよくよと落ち込んで答えが出せない状態は欠点でしかない。
しかし!
人は、そんな状態で考え事ばかりしている。
長所と短所は表裏一体のもので、グループ学習で答えを見つけたり、それとは反対に、一人ぽっちで自分を見つめて時間だけが過ぎていく!
日本人は、ついつい流れに流されてしまうのは、主体性に欠ける欠点かも知れない。
ただ、日本人は場の空気を読んで、フッと誰かが気付くと、それに感化され、まるで自分で発見したように感じている。そこまでの影響のされやすさは、もう学習能力かも知れない。
主体性のなさ!その先に、もう一つの学習能力がある。
一人ぽっちで、時間だけが過ぎていく!
日本刀や石庭は、むしろ答えに背を向けて!結論という終わりが無いことに意味があるのかも知れない。
刀工や大工は、気持ちを[無]の状態にリセットして、それを、じっと見つめている。
桂離宮は、時間がゆっくり過ぎていく時代に作られている。
長い時間軸の中で、次第に気持ちは満ち足りていく。
ひらめくためには、一定量の貯金が必要で!
長い時間軸が必要なのかも知れない。
負の思考力で検索すると、答えが出ない状態に耐える能力という記述がある。
答えが出せないのは欠点でしかない。
アメリカのTVドラマを見てるとFBIの捜査官が容疑者を絞り込んでいく。同時に捜査官にも恋愛があって、二つの時間軸が同時進行しているのは、ドラマを味わい深いものにする手法なのか?
そして、日本のドラマでは[盗人にも三分の理]という筋書きを好むところがあって、犯人にも少しだけ同情を誘って、視聴者に「きっと、あなたは犯人の心情を理解してくれるはず。」というメッセージを送ることで、日本人は味わいの深いドラマと感じている。
犯人に対する同情と怒りから、簡単に答えが出せなくなっている。そこにも、もう一つの理解力がある。
日本人には、一方的に犯人を批判するよりも、犯行の動機に理解を示しつつ!同情と批判という[一対]のものがそろって説得力を増している。
日米共に、少し考えさせる!複雑化させることでドラマを味わい深いものにしている。
東大生のリアリティーを感じない話し方が気になる。
「むしろ手間取っているのが考えている姿じゃないの!」
生徒の思考力のスイッチを入れるのに“コツ”があるのかも知れない。
エジソン少年は「なぜ?」「どうして?」と、分からなくなっている。
欠点は、その先で能力になっている。
スイッチにはONとOFFがあって、日本人は空気を読んで流れに、ついていく。その時、主体的な判断は出来なくなっている。しかし、誰かがフッと気付くと、それに感化され、まるで自分で発見したように感じている。
日本人には他力本願の思考回路があって、そのスイッチがONになっている。
龍安寺の石庭を見てると、一人ぽっちで時間だけが過ぎていく。
そんな答えのない[無]の状態で感じる思考回路のスイッチはONになっている。
日本人の思考力は他人の[ひらめき]に便乗する二次的なものだったり、石庭を見て余韻が飽和状態に達してから生まれてくるので、どうしても時間がかかってしまう。
日本人の考えるスイッチは、欠点の、その先にあるのかも知れない。
「うん?」「なんだ?」という疑問や挫折があって、「そうか!」「なるほど!」という[ひらめき]を感じるように、生徒に考えさせるためには、もっと欠点を利用すべきなのかも知れない。