そもそも、なんのためにテストをするの? 5 | エイジのブログ

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NHKのAIを特集した番組を見てると、ビックデータをどう分析するかが決め手になっている。

 

シャーロック・ホームズは彼の勘で犯人を予測していたけど、今では資料を分析したプロファイリングで犯人を予測して、そしてこれからはビックデーターが犯行を事前に予測して警察は先回りした捜査をしている。

 

大学受験も記述式に変わると、そんなAIの進化していく様子から、生徒の能力を測る価値観は知識の記憶量から、知識をどう分析するか、そして天気予報のように、資料からその先を予測する能力を問われるのかも知れない。

 

偏差値型の優等生は知識を大量に暗記して点数をもらっている。

もう、そんな時代じゃない。

 

王貞治は日本刀で打撃練習をしている。「日本刀?」「どういうこと?」と行き詰ってしまう。

 

そんな時に日本刀のイメージでバットを振ると「そうか!」と気付く!

 

[日本刀]という、どうでも良い知識からプロファイリングのように空想して、あと一歩だけ先に進むことができれば!知識は知恵に変わっている。

 

[空想力]は常識の枠を超えて浮遊している。

 

すると一本足打法はコンパクトではないし、本人も「踏み込みで力んではいけない。」と言っている。

「意味が分からない?」

 

そんな時、TVで何度も聞いたリズム感が残像のように頭に残って、天気予報のように先を予測して常識の方がひっくり返っている。

 

そして、それが今では常識になっている。

 

一歩先、そしてそのまた一歩先は別世界。

 

しかし常識を無視して思い付いた訳ではなく、従来の常識で見ると「どうして?」と理解できない。

新しい解釈が必要になってくる。

 

そして従来の解釈を変えることで再び前進が始まる。

 

「常識に囚われるな。」という言葉は「古い常識はゴミ箱に捨てなさい。」という意味ではなく。古い常識も解釈を変えれば便利に使える。

 

どうでも良い知識でも、解釈次第で役に立っている。

 

AIが社会の中に入り込んでくると、情報は、それをいかに利用できるかが重要で!都合よく解釈することで役に立っている。

 

従来の受験勉強のように知識を暗記して点数をもらう。

もう、そんな時代じゃない。

 

「教科書は正しい!」と権威付ける教育は、その場に留まって足踏みをしている。

ビックデーターを、どう利用するか、そんな能力を求められている。

 

そして情報は“どうでもいい知識”に過ぎない。それを都合よく解釈して、それをヒントにして、話を味付けすれば良いのかも知れない。

 

これもNHKのアインシュタインの脳という番組で、人の脳は、むしろ“ぼーっと”意識は浮遊している時の方が都合よく変化して、他の知識とつながっていくらしい。

 

正確な認識力は機械の方が優秀!

 

しかしビックデーターとして記憶されている情報は“どうでもいい情報”で、そんなデーターを大量に集めている。

 

龍安寺の石庭は肯定でも否定でもないらしい。

時間だけが過ぎていく。

 

無機質な石や“どうでもいいビックデーター”を正確に見つめても答えは出ない。

 

しかし脳は、その先を空想している。そして一歩先は別世界。

 

記憶という釘付けされた状態ではなく!

人の脳は空想し、意識は浮遊して、その先見つめている。

 

もう正解のあるテストをしても意味はない。