NHKのAIを特集した番組を見てると、ビックデータをどう分析するかが決め手になっている。
シャーロック・ホームズは彼の勘で犯人を予測していたけど、今では資料を分析したプロファイリングで犯人を予測して、そしてこれからはビックデーターが犯行を事前に予測して警察は先回りした捜査をしている。
大学受験も記述式に変わると、そんなAIの進化していく様子から、生徒の能力を測る価値観は知識の記憶量から、知識をどう分析するか、そして天気予報のように、資料からその先を予測する能力を問われるのかも知れない。
偏差値型の優等生は知識を大量に暗記して点数をもらっている。
もう、そんな時代じゃない。
王貞治は日本刀で打撃練習をしている。「日本刀?」「どういうこと?」と行き詰ってしまう。
そんな時に日本刀のイメージでバットを振ると「そうか!」と気付く!
[日本刀]という、どうでも良い知識からプロファイリングのように空想して、あと一歩だけ先に進むことができれば!知識は知恵に変わっている。
[空想力]は常識の枠を超えて浮遊している。
すると一本足打法はコンパクトではないし、本人も「踏み込みで力んではいけない。」と言っている。
「意味が分からない?」
そんな時、TVで何度も聞いたリズム感が残像のように頭に残って、天気予報のように先を予測して常識の方がひっくり返っている。
そして、それが今では常識になっている。
一歩先、そしてそのまた一歩先は別世界。
しかし常識を無視して思い付いた訳ではなく、従来の常識で見ると「どうして?」と理解できない。
新しい解釈が必要になってくる。
そして従来の解釈を変えることで再び前進が始まる。
「常識に囚われるな。」という言葉は「古い常識はゴミ箱に捨てなさい。」という意味ではなく。古い常識も解釈を変えれば便利に使える。
どうでも良い知識でも、解釈次第で役に立っている。
AIが社会の中に入り込んでくると、情報は、それをいかに利用できるかが重要で!都合よく解釈することで役に立っている。
従来の受験勉強のように知識を暗記して点数をもらう。
もう、そんな時代じゃない。
「教科書は正しい!」と権威付ける教育は、その場に留まって足踏みをしている。
ビックデーターを、どう利用するか、そんな能力を求められている。
そして情報は“どうでもいい知識”に過ぎない。それを都合よく解釈して、それをヒントにして、話を味付けすれば良いのかも知れない。
これもNHKのアインシュタインの脳という番組で、人の脳は、むしろ“ぼーっと”意識は浮遊している時の方が都合よく変化して、他の知識とつながっていくらしい。
正確な認識力は機械の方が優秀!
しかしビックデーターとして記憶されている情報は“どうでもいい情報”で、そんなデーターを大量に集めている。
龍安寺の石庭は肯定でも否定でもないらしい。
時間だけが過ぎていく。
無機質な石や“どうでもいいビックデーター”を正確に見つめても答えは出ない。
しかし脳は、その先を空想している。そして一歩先は別世界。
記憶という釘付けされた状態ではなく!
人の脳は空想し、意識は浮遊して、その先見つめている。
もう正解のあるテストをしても意味はない。