「一本足打法で、なんでホームランが打てるんだ?」
一本足打法とホームランがつながらない。
一番肝心な説明がない!
最も重要な部分に答えがない!
答えが無いのなら、もう自分で答えを作るしかない。
そんな時、誰かが何気なく言ってた「1・2の~3」のリズムがヒントになっている。
一本足打法とホームランの間(あいだ)を埋めてくれるのがリズムで、あの間(ま)の有るリズムは矛盾した事ができる魔法のリズムで、話はうまい具合につながっていく。
数学も同じかもしれない。数字と記号だけでは意味が分からない。
王貞治自身も説明できないように、数学者も完璧な説明ができないのかも知れない。
元々、肝心な部分が空欄なら、もう自分で答えを作るしかない。
自分で話を完成させるしかない。
優秀な二番手が必要で、そこには、おそらく数学者自身も思い付かないキーワードが必要なのかも知れない。
ただ、日本では誰かが何気なく言ってた言葉がヒントになっている。
日本人は空気を読んで[さっする]理解力が優れている。
「分からない?」という疑問を不安感として感じて、誰かが思い付くと、その一瞬を達成感として感じている。
日本人は自力で考える力は弱いけど、しかし!ここまでの影響されやすさは、もう才能と言っても良いのかも知れない。
テレパシーのような理解力を持っている。
自力は弱く、他力本願な日本人の能力は影響のされやすさのようなもので、それは均一で個人差が無いことに特長があって、偏差値のように序列化すると能力が見えなくなってしまう。
そして未来人をイメージすると、クローン人間のように均一で個人差はなくテレパシーで会話をしている。
それは日本人そのもので、もしも個人差があれば、それは欠陥品を意味している。
そんな未来人は、クローン人間のように個性をなくしている。
従来の能力の概念は、個人差や希少価値で、そして才能は想定外の能力を意味している。
しかし!これは未来人には当てはまらない。
未来人をイメージすることで、日本人の可能性が見えてくるのかも知れない。
そんな時、学習障害児のなかに理数系で才能を発揮する子がいるという話が気になる。
才能は開拓者のように規格外で想定外で、それは何らかの障害に起因しているのかも知れない。
進化したクローン人間は、個性が無くテレパシーで会話をしているというイメージかも知れない。
才能は、道を切り開く初期の段階に必要で、多少は奇人変人的な資質は障害を意味しているのかも知れない。欠点と才能は、何処かでつながっている。
それは優等生ではないというイメージかも知れない。
やはり学習障害児の研究を待つしかないのかも知れない。