ファーストフードでは店員に対して「マニュアル通りやってくれればいい」と現状維持能力で十分で、職人としての勘や経験は求めてはいない。
日本の数学教育も同じ様に「数学は暗記だ。」と言って、学生はファーストフードの店員のように
マニュアルを覚えただけで応用力が無い。
世界中を驚かした蓄音機も優秀な二番手にヒントを与えて、アッという間に時代遅れになってしまった。
価値は絶対的なものではない。
人には学習能力があって、進化させ変化させてハイテク製品を時代遅れにしてしまう。
しかしコンピューターには現状維持能力しかなく、そんな時代遅れにしてしまう創造力はないし、
進化という価値観も理解できない。
そしてコンピューターは記憶力では人を凌駕しているけど、3D・4Dになると人の判断力を必要としている。
天気予報では、スーパーコンピューターは台風の進路を予想しても危機感はなく被害をイメージすることはない。
それに対して、人の知能は常に感情を伴っている。
人には感情というものがあって、感情が考える方向を決めて、しかもそんな感情が変化を加速させている。
俳句は一度ギュッと圧縮して、それが一気に膨らんでいくことで感動を味わうことができる。
情緒的で揺れやすい日本人は俳句のように[1]を聞いて[10]を知る。
空想は、もう五・七・五という言葉の枠を超えて、俳句とは[寸法]が合わなくなっている。
人の知能は[感情]を伴って言葉の持つ本来の意味を、はみ出している。
人の知能は正確さではなく、はみだした部分で理解している。
正確さが必要な記憶力は、コンピューターに任せれば良い。
人はマニュアルの様に選択肢が一つしかないものは、無批判に受け入れてしまう。
むしろ、二つ以上の答えがあって、それらを比較する方が分かりやすい。
人の脳は2Dよりも3Dという立体の方が分かりやすく、そして4Dという時間の概念が加わると、
もっと分かりやすい。
そして、人には[感情]があって、映画『シェーン』のように[感情]が言葉の枠を超えると、もっと分かりやすい。
AIには[1]を聞いて[10]を知る、人の感情が理解できない。