NBAの試合を見てると、黒人選手の派手なスタンドプレイが目立っている。
そこからアメリカ人の、目立ちたいという気持ちを感じる。
自己肯定感を感じる。
アメリカのイノベーションは、そんな成功を夢見るイメージ力から生まれているのかも知れない。
しかし最近では、謙虚を美徳とする日本人にも目立ちたいという気持ちを感じる。
自己肯定感を感じる。
それは、なによりも大切なことかも知れない。
生徒は「分からない?」と行き詰まってしまう。
しかし、そんな疑問が考えるきっかけになっている。
王貞治は一本足で構えている。「なんで、それがホームランにつながるんだ?」一本足で構えて、その形が体に染み込んで間延びが生まれている。「の~」というリズムの間延びが生まれている。そして誰言うとなく言ってる「1・2の~3」というリズムと重なって、フッと気付いている。
誰でも知ってる知識から、タイミングの合わせ方を思いついている。
これは作り話で、そんなイメージ力に重要なものが
自己肯定感かも知れない。
成功を願う気持ちからイメージ力が生まれるように!
それは作り話でも、ためらいもなく話をする生徒を育てなければいけない。
人は、自分の殻に閉じこもって妄想をしている。それは恥ずかしくて他人に話せる内容ではない。
一本足打法を見て作り話をしている。
そんな妄想は科学ではなく、答案用紙に書けるものではない。
しかし学者は常識と非常識の境界線を越えている。
それは科学というよりも妄想に近いものかも知れない。
そんな空想力は、最後まで[自己肯定感]を持てれば可能なのかも知れない。
常識の境界線を越えていく空想力には自己肯定感が必要なのかも知れない。
学習障害児の中に理科系で才能を示す子がいるという。
しかし、彼らは自己肯定感を見失うと欠点で終わってしまう。
分からないけど!欠点と才能はどこかで、つながっている。
ピカソの絵は、見ている人の中で芸術になっている。
ピカソの絵は、もう想像するしかない。
欠点は、その先で才能になっている。
むしろ、そんな見方が必要なのかも知れない。
妄想は楽しくて、時間の無駄使いをしている。
誰しも、そんな非科学的な妄想を楽しんでいることがあって。
そしてそんな妄想は答案用紙に書けるものではない。
しかし妄想は夢で自己肯定感そのもの。
妄想と成功をイメージしているのは、現実感から分かれていく心理状態なのかも知れない。
ピカソの絵は、見ている人の中で芸術になっている。
ピカソの絵は、もう想像するしかない。
そんな現実感から分離したものが空想力でイメージ力なのかも知れない。
分からないけど!欠点と才能はどこかで、つながっている。
そして学習障害児の中に理数系で才能を示す子がいるという。
「現実感から分離しているのか?」
しかし妄想は自己肯定感そのもので、よく言われるように[自己肯定感]がキーワードなのかも知れない。
学習障害児の研究が進むと、予想外の展開をするのかも知れない。