学習障害児の中に理数系で才能を発揮する子がいるという。
そんな子は知恵遅れではなく、思考回路が他人とは違うのかも知れない。
誰しも自分の殻に閉じこもって妄想していることがあって、それは非科学的でも実現不可能なことでも気にならない。
ルイス・キャロルはペンネームで気付けば自由に妄想している。
彼にとって、そんな時間は楽しいのかも知れない。
考えてみれば自分にも、そんな自由な空想を楽しんでいる時はあって、結構ハッキリとイメージしている。
そして、そんな妄想は才能なんかじゃないし、
何度も繰り返しても努力はしてないし、
ハッキリとイメージできても学習能力でもない。
むしろ時間の無駄使いをしている。
大竹まことは「筆が進まない。」とぼやいていたけど
何かいい事を書こうとして行き詰ってしまうのかも知れない。
妄想は、恥ずかしくて他人に聞かせるものではないけど、自由に広がってハッキリとイメージできる。
しかし妄想は才能でも学習能力でもないし努力もしてない。
最近、聞き流す英語の学習教材の宣伝を耳にするけど、あれは効果的かも知れない。
幼児はすぐに言葉を覚えるのに、
人は成長すると10年英語を勉強してもしゃべれない。
それは成長して判断力が増すからかも知れない。
人は常に判断しながら話を聞いている。意味が分からないと頭に入らない。判断力が働いて納得するまで留め置いてしまう。人の判断力は関所になってしまう。
その点、聞き流すだけの英語教材は何も考えていないので判断力という関所が機能せず、すんなりと通過して
潜在意識に記憶してしまう。
麻酔で人を眠らせても耳は生きてるらしい。
洗脳や催眠術は、人を眠らせて判断力が機能しない状態にしてインプットすると潜在意識に記憶されて、自分で判断した自分の意見のように思ってしまうらしい。
言葉は、判断力が未発達な幼児はすぐに覚えるのに、
成長して判断力が身につくと意味の分からないものは
留め置かれて頭に入らなくなってしまう。
英会話は勉強ではないのかも知れない。
そして自由な空想やイメージ力も学びではないのかも知れない。
学習障害児の中に理数系で才能を発揮する子がいるという。
学習障害児の研究が進むと、学習方法が革命的に変わってしまうのかも知れない。
常識に囚われない発想や記憶やイメージ力を[学び]にしてしまうのが間違いで、そして点数をつけて能力を測るのは、もっと間違いで!
そんな初期の思考力は『不思議の国』のように
「科学ではなく、むしろ時間の無駄使い。」と考えることで効果をあげることができるのかも知れない。
大竹まことは「筆が進まない。」とぼやいているけど、楽しい[妄想]なら自由に空想は広がってハッキリとイメージできるのかも知れない。
妄想は[学び]ではない。