ラジオで「日本の音楽は外国の影響を受けているけど、日本人はその上に自分の感性を上乗せして、より価値を増している。外国人もそれを感じて評価している。」と話している。
まったく同感で「いいなぁ~」と感じる気持ちは増幅して音楽は心地よくなっていく。
理論は後付でもかまわない!
説明不足でもかまわない!
まずは気持ちに感化されて、日本人同士の会話なら、
そんな気持ちは容易にシンクロして伝わる。
「言わなくても分かるだろ!」
そしてそれは無表情な活字でも、ちゃんと伝わってる。
日本人は仲間といると気持ちが大きくなっていく。
そんな「いいなぁ~」と変化していく気持ちを、
どう表現したら良いんだろう?
大竹まことは「筆が進まない。」と言っているけど
“変化していく気持ち”を伝えようとすると「どう表現したら良いんだろう?」そして言葉が見つかると、考えは、その先!その先と進んでいくはず。
欧米人は論理的な話をする時、無表情になっていく。
意味を確定しないと伝わらないみたい。
会話が成立するために、とりあえず意味を確定する必要があるみたいで空想や疑問のように論理的に説明できなものは伝わらない。
芸術的な価値は論理ではなく”気持ちの変化”で共鳴して揺れは増幅して、ピカソの絵は鑑賞している人の中で芸術になっている。
学者の空想力も同じかも知れない。
空想は“変化していく気持ち”
正確さではない。
仮想通貨は素数による暗号化技術で複製を阻止できているらしい。
心配になってくるのは「そんな暗号化が理解できる数学者が日本に何人いるの?」
アラン・チューリングはエニグマという暗号解読機の仕組みを理解したというよりも、数学には法則があって、同じ数学者同士が偶然同じ事を考えたのかも知れない。
創造力と理解力には関連性があって!
創造力から、理解力が生まれている。
創造力という、次第に完成していく過程が一緒だったのかも知れない。
偶然!同じ積み木をしていたのかも知れない。
感傷的な気持ちは論理的ではないけど、日本人は論理ではなく揺れる気持ちで感じ取っている。
感傷的な気持ちは答えではないけど、理解するための
手段にはなっている。
ピカソの絵は鑑賞している人の中で芸術になっている。感傷的な揺れは論理を超えている。
芸術を論理で伝えるには限界があって、それは学者の
空想も同じかも知れない。
日本人はパシュートで金メダルを獲得しているけど、
日本人同士、言わなくても通じると思っている。
ピアノは波長の合う弦同士が共鳴して味わいのある音になるらしい。
日本人は情緒的・感傷的で気持ちを一つにして日本人特有のハーモニーが生まれて、日本人のパシュートチームは金メダルをとっている。
感傷的な一体感は論理を超えている。
日本人は論理で伝えるのではなく揺れる気持ちを伝えている。
日本人は理科系ではなく文科系なのかも知れない。
もしかして、日本語で考える文科系数学というものが
有るのかも知れない。
「日本に暗号化技術が理解できる数学者は何人いるの?」しかし!文科系の[感じる力]は理系の数学を超えているのかも知れない。