大竹まこと 3 | エイジのブログ

エイジのブログ

ブログの説明を入力します。

大竹まことが「筆が進まない。」と言っていたけど

[ひらめき]には心理的な要因が大きくて、

あわてない方が良い!

 

日本人は、うまく説明できない時、雰囲気で伝えようとする。

 

彼は原稿用紙にペンで書いているらしいけど、そもそも社交性のある人間には文才がなく、文才のある人間には社交性は無いもので、おそらく彼は自分自身の表現力に自信があって勢いで伝えようと、こだわっているのかも知れない。

 

しかし活字は無表情で、活字が持っている余韻のようなものに頼るしかない。

 

芭蕉は、あんな短い俳句でも推敲を重ねて書いている。

 

五・七・五でもホップ・ステップ・ジャンプと弾みがついている。

 

おそらく何度も何度も組み立て直したり言葉を入れ替えたりしながら、弾みのつく表現を探している。

 

芭蕉は話術による表現力ではなく、日本語が持っている余韻に頼っている。

 

大竹まことはコメディアンとしての表現力に自信があって、彼自身の持つ雰囲気で伝えようとしているのかも知れない。

 

話術による表現は、その一瞬が勝負で言い直しが利かないけど、活字による表現は何度でも書き直すことができるところに可能性があって、何か思い付いた時に書き足せば良い。

 

映画は取り直しが可能で、チャップリンは時には50テイクも撮り直したらしい。

次々に付け足して、そして枝葉を切り落とすとストーリが見えてきて気付けば違う話になっていたのかも知れない。

 

「ひらめき]で予想外の展開をしていくところが面白い。

 

大竹まことは、話術には言い直しが利かないという思いが強すぎるのかも知れない。

 

[ひらめき]は突然の変化でテーマを決めて“タガをはめる”と何もひらめかなくなってしまう。

 

そのうち[ひらめく]ので急がない方が良い。

 

やはり社交性のある人間には文才がなく、文才のある人間には社交性は無い。

 

プロ野球のコーチが「母親から頼りにされて育った

男の子は精神的に安定している。」と言っていた。

 

キャッチボールと一緒で、ボールを受け止めてくれる

母親だと言葉は自然に口をついて出てくる。

 

「お母さんと、もっと話したい。」「そんな気持ちを、どう表現したら良いんだろう?」常に、そんな思いがあって、いろんな表現が記憶されていく。

 

以前小学生の作文の入選作品を読んで、小学生の美しい文章に感心したことがあって、その表現力は、きっと

お母さんとの会話の中で身についたのかも知れない。

 

記憶の大半は、記憶したことすら認識できない潜在意識に記憶されるらしい。

 

記憶するのが難しいのではなく、思い出すのが難しいらしい。

 

大竹まことが「筆が進まない。」と言っていたけど

[ひらめき]には心理的な要因が大きくて、あわてない方が良い!