アラン・チューリングで検索すると「アスペルガー症候群を暗示させる兆候が見られる。」という記述がある。
アスペルガー症候群は、他人の心を読む「行間を読む」のが困難もしくは不可能らしい。
規則性に興味を示して、それとは反対の感情のような不規則なものや[本音と建前]の理解が困難らしい。
読めば読むほど日本人とは正反対に思えてくる。
野球では、内から外のバットスィングが常識で、そういう指導をされるし、タイミングの合わせ方も具体的な指導をされて、すぐに一定の水準まで達している。
以前は能力差として見られていたものが、今では適切な指導で習得できて能力差はなくなっている。
今までは能力の有る無し!という見方をされていたものが、指導すれば習得できるという認識をされている。
能力の概念は個人差や個人技のイメージだけど、指導法が進歩して個人差がなくなった一面と、4割バッターとかトリプルスリーのように能力が際立つプロ野球選手もいる。
能力の概念が、少しづつ変化している。
何年もの試行錯誤を経て、以前は能力と見られていたものが、誰でもできるものになっている。
一本足打法と投手の投球フォームは違うけど、あるリズム感で見ると「同じだ!」そして「そうか!タイミングを合わせやすいのか」と気付いている。
リズムは見えないけど感じることはできる。
日本の教育は広く薄く知識だけを暗記しても、やがてそんな記憶は忘れて何も残らない。
多少はずみをつけて踏み込んでも、ピタリとタイミングが合わず、フォームが壊れて良い形で打てない。
イチローは投手の腕の振りだけを見ているので、セットポジションでもワインドアップでも腕を振って投げる形は変えようがなく[一緒]なので同じ形で踏み込んで打てる!後は「2の~3」のリズムで微調整!
踏み込みで、ピタリとタイミングを合わせて、後はバットを振るだけ!
簡単にやってのけてるけど、かなりの歳月をかけて、そんな打ち方は生まれている。
人の理解力には想像とか疑問そして常識の否定という答えから遠ざかる思考力が必要で、わざわざ遠回りして時間のかかる作業で「模範解答を即答させて、どんな能力が分かるんだ?」
日本人の理解力の優れた点は、俳句や能のように説明不足でも、ちゃんと伝わっている。
日本人はアスペルガー症候群とは正反対に[あいまい]なものに理解力をみせる。
TVで狂言を紹介していたけど間(ま)のようなものが大切で、観客は狂言師の間(ま)で、感情の余韻を感じている。
日本画も余白が多くて、自由に感じさせるための空白が必要なのかも知れない。
具体的に説明しないと通じない欧米に比べて「言わなくても分かる」観客がいて狂言は成立している。
日本人の理解能力は、そんな均一で個人差がないからこそ「言わなくても通じる」テレパシーのような理解能力を進化させている。
偏差値のように個人差を際立たせたり、正解しか点を与えないテストをすると[行間を読む]日本人の優れた理解力が見えなくなってしまう。
そして見えないけど感じるリズムで一本足打法と投球フォームの共通性を見つけ出して、そこからタイミングの合わせ方を思い付いている。
[あいまい]な概念で理解する日本人とは正反対のアスペルガー症候群の研究が進めば、日本人の理解力が分析されていくのかも知れない。
学習障害児の中に理数系で才能を示す子がいるという話が気になる。
まず受験生の能力が見えてくる[ものさし]が用意されているのか?
才能は規格外で、才能を育てるのなら常識的なテストをしても意味がない。
芦田愛菜ちゃんは模範解答を答える優秀な[No.2]かも知れない。
しかし、そこではなく[行間を読む]日本人には印象に残る[表現力]が評価されるのかも知れない。
彼女が最も優秀に見える[ものさし]を用意することが重要なんじゃないの!