王貞治 15 | エイジのブログ

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一本足打法は、今ではバッティングの基本形になっている。

 

ただし、その多くは偶然生まれているものが多くて、王貞治周辺の[どうでもいいような知識]がヒントになって、日本人はそんな[どうでも良い知識]を共有しているのでアッという間に拡散して定着している。

 

どうも順序が逆で、コツの様なものを見つけて、始めて「自分の探していた答えは、これだ!」と気付いている。

 

自分が探している[答え]が何なのか分かってないことが多く、当然何も気付かない。

 

しかし[ひらめき]は目新しいことを話している時にフッと気付くことが多い。

 

日本人の[ひらめき]の正体は、今話している言葉から連想されたものだったりする。

次々に連想しながら理論化されていく。

 

日本語は[あいまい]で確定できないところがあって、日本語で考えていると「今、自分が感じているものは何だろう?」とハッキリしない。

何か感じるけど、形は見えない。

そんな時、フッと気付いて日本語に新しい意味が追加されていく。

なによりも聞き手が日本人だと、少しぐらい違う意味で使っても、その言い方や雰囲気で、ちゃんと伝わっている。

 

[ひらめき]は目新しいことを話している時にフッと気付くことが多く、そして会話の中で、単語はその意味を新しく更新している。

 

日本語は揺れ幅が大きくて意味が[あいまい]になってしまう。

 

その点、英語は意味が固定された言語で、英語で考えると従来のイメージしか思い浮かばず、同じジグソーパズルを組み立てることになる。

 

意外と自分が探している[答え]が何なのか分からないもので、揺れる日本語は首を振るレーダーのように答えを探している。

 

一本足打法は、今ではバッティングの基本形になっている。

その多くは偶然生まれているものが多くて、周辺の[知識]がヒントになっている。

 

王貞治は前足の上げ下げについて荒川コーチに聞くと「ピッチャーが足を上げたら自分も上げて、ピッチャーが足を下ろしたら自分も下ろせばいいんだ。」とのこと、結局ピッチャーと同じ時間を使うことで同じリズムが可能で、そこからタイミングの合わせやすさが生まれている。

 

今日まで一本足打法を真似ても打てないのは、前足の上げ下げを適当にやっているのが原因で、時間とリズムが合わず大袈裟な打ち方は邪魔でしかない。

それに一本足打法を[同じ長さ]として理解すると、セットポジションとワインドアップでは時間の長さが違って、これも打てない原因になってしまう。

 

ピッチャーと同じ時間をかければポイントでボールとバットは出会う!

しかし無駄を省いてコンパクトにすることに、こだわっている時、そんな時間のかかる打ち方は[机上の空論]としか思えない。

 

しかし、こんな机上の空論としか思えない考え方は[一対]のもの[正反対]なものが揃って完成!という考え方をする日本人には抵抗感はなくアッサリと受け入れられている。

 

誰かが「1・2の~3」というリズムの話をして、そんな先入観で一本足打法を見てるとハッと気付いて「あの打ち方はタイミングを合わせやすいのか!」そして「そうだ!自分の探していた答えは、これだ!」と感じて一気に理解は進んでいく。

 

どうも順序が逆で[答え]が最初にあって、一気に理解は進展している。

 

ジグソーパズルのように完成写真を見ながら、バラバラなピースを組み立てて完成!

 

理解されていくプロセスは、まず最初に[答え]が必要なところが面白い。