La La Land 4 | エイジのブログ

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映画『La La Land』のオーケストラを聴いてると「この楽器には、こんな魅力があったのか。」と感じることが多く、おそらく編曲者には、そんな発見があって、それがそのままま伝わってくる。

 

黒人のジャズは貧困と絶望の中で、せめて死んだ時ぐらい楽しく送り出してやろうと演奏しても、やはり壊れて気持ちは意味もなく散らばっている。

ちりぢりにるエネルギーは貧困と絶望を知らないグレンミラーのような白人によって上品にまとまっている。

 

ダイヤの原石なんかじゃないジャズは壊れて、抑えられない気持ちは多くの人を揺さぶっている。

 

ビーチボーイズのブライアン・ウイルソンは、父親の暴力の中で育って感覚がマヒしてしまった。

DVを普通のこととして感じる様になってしまった。

そしてブライアン・ウイルソンはその後、長い引きこもり状態から抜け出せなくなってしまう。

 

そんな状態から、ある女性との出会いがあって妻として迎えている。

彼は自分に対する優しさを知った時、それは新鮮な経験だったのかも知れない。

もう、自分に対する愛情に疑問を持たなくても良い!

それは、自分を見下す表情ではない!

やっと、そんな判断をすることが出来たのかも知れない。

 

やはり[暴力]や怒鳴られることを受け入れてしまう体質になったブライアン・ウイルソンは優しさを知った時、今までの街並みが、雨上がりの街並みのように空気は透明に見えて、眠りから覚めたような感覚だったのかも知れない。

 

映画ラブ&マーシー 終わらないメロディーの中でブライアン・ウイルソンのそんな様子が再現されている。

彼は父親からのDVで、空気の様に軽い音も、次々に連鎖反応を起こして止まらなくなったのも脳内麻薬が原因で、彼が引きこもりになってしまったのは、脳をクールダウンする必要があったのかも知れない。

 

20代の頃ブライアン・ウイルソンはディズニーの『星の願いを』をカーラジオで聞いて『サーファーガール』を作曲している。

それは「今、自分が感じているものは何だろう?」と、押さえつけられた気持ちからの逆バネが効いて、思いは膨らみ広がるのかも知れない。

そんな思いは常にあって、ありふれた日常生活に新しい意味を感じてしまう。

 

ビーチボーイズの音楽はロックというよりも癒しの音楽に聴こえる。

 

おもわずリズムがずれてしまう。

 

やはり気持ちの重さを引きずっている。

しかし、それが我々には心地良い!

 

ブライアン・ウイルソンは結婚してからヒット曲が書けなくなってしまった。

彼には、もう癒しは必要なくなって、人格を否定されることからの逆バネが弱くてなって、泉は枯れたみたい。

 

ビーチボーイズの、リズムがずれた空気の様に軽い音楽は、恐怖からの脳内麻薬が原因かも知れない。

 

ただ、父親からのDVという話は知らない方がよかった。

 

映画『La La Land』のオーケストラを聴いてると「この楽器には、こんな魅力があったのか。」と感じることが多く、おそらく編曲には、そんな発見があって、それがそのままま伝わってくる。

編曲家は原曲を聞きながら「今、自分が感じているものは何だろう?」と、気持ちは広がっていくのかも知れない。

そして、そんな空白を埋めてくれる言葉を探している時、そこに吸い込まれるように[ひらめく]のかも知れない。

 

ジャズはメロディーの足りなくて、それは日本画のように余白が多くて、もう想像するしかない!しかしそこでは見ている人の想像は広がって、次にその反力のような吸引力が働いているのかも知れない。

 

やはりジャズは[ブラックホール]のように、破壊的な爆発があって形は壊れて!拡散して!

そこから反力のような吸い込む感受性が生まれて、それは形として固まっていく!

貧困と絶望を知らないグレンミラーのような白人によって上品にまとまっている。

 

映画『La La Land』も同じように、それを見た人の気持ちの広がりから生まれた空白の意味が分からなくて「今、自分が感じてるものは何だろう?」

そして、次の瞬間!

なにもかも吸い込んでいくような感受性が目覚めるのかも知れない。