最近の国産車は、トヨタにはトヨタの顔があって!マツダにはマツダの顔がある。
一つのテーマがあって、そのテーマに集中させて自己主張している。
以前、和田アキ子が「私は吉永小百合に似ている。」と言っていたけど、たしかに目とか鼻とか部品は似てるかも知れない。
しかし!
その部品を集めたとき和田アキ子になってしまう!
車のデザインで、かっこ良いと感じる部分を寄せ集めてもバラバラでは決して美しくはならない。
やはり吉永小百合のキャラクターを決めて、そのイメージにそって作り上げていくことで美しい吉永小百合が出来上がる。
日本語の優れた特徴は[あいまい]なところかも知れない。
自由度がある。
連想が働く。
列車が時間通りに動くのは[ハンドルのあそび]のようなものが有るからかも知れない。
テストの[正解]は、たった1つしかなく「どうやって、オリジナルな能力を、たった一つの答えで評価するんだ?」しかも正解のほとんどが単語で理論がない。
いろんな美があって、それらを寄せ集めても決して美しくはならない。
やはり吉永小百合のキャラクターを決めて、周辺にある既存の美でも、その一点に集中させれば美しい吉永小百合が出来上がる。
正解を寄せ集めてもテーマがないとバラバラで何も完成しない。
日本の教育は正解を答えるマニュアルを覚えただけで「何が、したいんだ?」
正解は、問題を作った出題者が答えまで作っている。
正解は生徒の答えじゃない。
デザイナーの能力を見るのに[正解]があること自体「おかしい!」
そもそもテストは意味がない。
日本の教育は‟つっこみ所”満載でいくらでも批判できる。
ただ批判しても「それなら、どうするんだ?」と、ひらめき欠乏症になってしまう。
それは欠点ばかり見つめて「それなら、こうすれば良い。」という方法をイメージをしていない。
まずはじめにテーマや課題それに疑問のようなものがあって・・・。
次第に答えのイメージがまとまっていくと、一気に周囲の知識は微妙に意味合いを変えて、そのイメージにそってまとまっていく。
日本語の優れた特徴は[あいまい]なところかも知れない。
自由度がある。
連想が働く。
列車が時間通りに動くのは[ハンドルのあそび]のようなものがあるから。
新幹線の運転士はスピードを微調整しながら列車を定刻通りに走らせている。どうしても予定通りにはいかないので少しスピードアップしたりスピードダウンしながら走らせている。
日本語は[あいまい]で微妙に意味を変えて話しても、聞き手が日本人なら問題なく通じる。
既存の知識も微妙に意味合いを変えることで便利に使える。
日本語の優れた特徴は[あいまい]なところかも知れない。
自由度がある。
連想が働く。
そんな特徴を使いこなすためにもテーマを決める。
それは疑問や課題があって・・・。挫折感や敗北感からこみ上げてくる思いがあって・・・。
次第にその答えがイメージできると、一気に周辺にある知識は都合良く意味合いを変えてまとまっていく。
日本語はものを考える時、こんな便利な言語はなく
[あいまい]なところ、そしてそれが日本人には通じる!
日本語は、日本人の財産かも知れない。
