最近ネットは、すっかり右傾化して隣国を疑る人が増えている。
どうも人は、隣国を疑る猜疑心が芽生えてくると、いろいろ気付くみたいで、猜疑心が無いと何も気付かない。
認識するためには何らかの先入観が必要で!先入観で見ることに才能は必要なく、かなり効果的なのかも知れない。
脳の構造は、学者も我々も同じはず。
「アイツは嘘つきだ!」と言う悪口を聞かされて、そんな先入観で見ると、知りもしない人が嘘つきに思えてくる。
ただ「アイツは嘘つきだ。」という先入観は偏見で、そこで終われば、先入観は欠点でしかない!
しかしそんな先入観は欠点にもなれば、能力にもなる。
それは結論をイメージしながら見ていると、探している答えは見えてくる!
「右に打て。」
本来、右には左の反対側という意味しかない。
しかし野球で[右]と言う時は、価値観のような特別な意味を上乗せして使っている。
本来の意味に付け加えた部分で会話をしている。
そんな意味づけは、存在しないフィクションで、フィクションが実体化している。
そしてその先、誰かの何気ない一言がキーワードになって野球理論はアメリカよりも進化している。
人の理解力は「きっと、こうに違いない!」という主観的な思い込みがあって!そんなイメージをすると気付いて、そんな主観的な思い込みが無いと気付かないみたい。
まずはじめにイメージがあると、そういう方向で情報は理解されていく。
意外と人の理解力は主観的で!感情的で、何らかの肯定的・否定的な感情に背中を押されて考えている。
思い込みが弱い客観的な見方では気付かなくて、考えは先に進めない。
群れる動物は一匹が危険を感じると、危機感はアッという間に仲間に伝わって群れは巣穴に逃げ込んでしまう。
やはり危機感には、かなりのリアリティーがあって、すぐに行動に移っていく。
人の理解力は、危機感のような感情が共有できないと気持ちが伝わらなくて、浅い理解しかできない。
人の思考力は、そんな感情的な決めつけを正当化して、何度も何度も組み立て直して完成度を高めている。
日本人は自己主張が少なく、それは欠点でしかない。
ただ、受け身の[さっする]理解力は日本人の方が優れている。
それは、まるでアニメでも見てるように、日本人の好奇心は「なに?」と、その先を想像している。