日本人は欧米人よりも暗算が得意で、頭の中で数字が増えたり、減ったり、移動したり!
変化している様子を正確にイメージする能力が優れている。
昔から右に打てという価値観があって、そして田淵幸一は「インサイドアウト」と言い、荒川コーチは「右手をかぶせる」と言っていた。それぞれ、それがどうしてヒットが打てるのか分からない。
「右に打て!」という言葉に、興味もわけば疑問も生まれる。
その意味をキッチリと説明しようとすれば2時間ぐらいの尺が必要で、それくらい説明すれば誰でも理解できる。
しかし、そんなしっかりと説明されたものは第三者によって説明を付け加えられたもので!それはもう、優秀な二番手によって創作されたもので「右に打て。」という単語を、そのまま正確に理解することに意味はなく、新しく解釈を付け加えることで、やっと深い理解ができる!
進化とは、人の意見に自分の考えを積み重ねていくことで、田淵幸一は「インサイドアウト」と言い、荒川コーチは「右手をかぶせる」と言って、益々意味が分からなくなってしまう。
それは「本人も、説明できないんだろうなぁ。」という印象で、分からないものは、もう自分で考えるしかない。
そんな説明不足な話は益々理解できない、そんな時「ポイントを線で捉える。」という意見を耳にして一気にイメージは確定している。
群れる動物は一匹が危険を感じるとアッという間に仲間に伝わって群れは巣穴に逃げ込んでしまう。
人の理解力も、何かに過剰反応している。その背景には不安感や恐怖心がある場合が多く!そして周囲に伝わっていく。
特に日本人は、常に周りの空気を読んでいる。
日本人の会話にキーワードがよく出てきて、そんなありふれた言葉に過剰反応をしている。
ありふれた言葉でも、そこにはその人の思いがこもって、そんな感情が背後にある場合!日本人は、ついつい反応してしまう。
松村邦洋の日本史は、主観的な解釈で面白くなっている。
もっと言えば「こうだったら面白い!」という主観でストーリーが出来上がっている。
日本人の群れたがる習性から、不安感はアッという間に仲間に伝わっていく。しかしその段階では、まだ誰も答えを知らない。
ただ動物よりも知能が進化して、松村邦洋の日本史の話のように主観的な解釈で話は面白くなって、好奇心がわいて、いろんな知識を引き寄せて味付けの濃い話になっている。
日本人は暗算が得意で、それは数字を足したり引いたりしながら数字が変化する様子を正確にイメージしている。
「それは変わらない!正確さではなく。」
不安感や高揚感のような、周囲の一瞬の変化に反応する。
日本人は、気持ちの過剰反応で考えている。
それは正解という、変化しない無機質な数字や記号では益々数式の意味に興味を失ってしまう。
数学者の話を直接聞くと、疑問があって発見があったり、非科学的な空想だったり!案外日本人は、数学者のそんな一瞬の変化に共鳴して波長が合っている!
益々意味が分らなくなってしまう思考のプロセスを、数学者の感情の揺れに反応して、とりあえずついていく!
欧米の優秀な生徒が行き詰ってしまう、数学者の思考の揺れを!日本人は苦も無く、こなしていくのかも知れない。