日本の生け花には様式美があって、手順や形式には決まった作法があって、作法通りやれば一定の表現ができる。
そもそも美には決まった形はなく、そんな才能は個人技で伝承することは不可能!しかし、日本では日本刀の精神性や日本刀の怪しいまでの輝きは、ちゃんと伝承されている。
それだけ日本人の学習能力は優れている。
しかし、日本刀の魅力は感じ取っていくもので、教科書のように論理として存在するものではないし、数学のように数値化できるものでもない。
松村邦洋が歴史を熱く語っているのを聞きながら、日本史は彼の「こう思いたい!」という主観が入って面白くなっている。
資料を正しく暗記する日本史の受験勉強は面白くもなく「つまんない!」
しかし松村邦洋の話は主観で気持ちが揺れて面白くなっている。
もっと言えば「こうだったら良いのに!」という主観でストーリーが出来上がっている。
しかし人の理解力とは、そんなものかも知れない。
客観的な見方では、本人にとっても面白くもなく話は膨らまない。
むしろ主観的で、しかもこみ上げてくる思いから言葉は、あふれ出てくる!
アラン・チューリングは発達障害で、空気の読めない人間だったらしく、自己完結型の思考をしていたのかも知れない。
それはガラパゴス諸島のように大陸との接触がなく、動物達は独自の進化をしている。
もちろん既存の数学に積み重ねる学習も必要で、既存の数学の影響と独自の進化という絶妙なバランス感覚が働いたみたい!
なかでも独自に進化していくためには、客観的ではなく、主観的に数学を考えている点が重要なのかも知れない。
むしろ我々に数学が理解できないのは、正確に客観的に理解しようとして面白くもなく話が膨らまないのが原因かもしれない。
『久米宏のラジオなんですけど』で量子力学の話を聞きながら思ったのは、算数なら1+1=2のように100点の答えはあるのかも知れない。しかし高等数学では30点の答えでも「彼は天才だ!」と、高い評価を得ることはあり得る。
野球でもタイミングの合わせ方に100点の答えが有るはずもなく、たとえ30点の答えでも「よくそんなことを考えたなぁ~。」と、高い評価をしてもらえるはず。
タイミングを合わせる方法!そんな答えなんかなさそうな課題に、日本人は答えを見つけ出している。
『久米宏のラジオなんですけど』を聞きながら量子力学は、その30点の答えでも「天才!」と評価される世界かも知れない。
いや!むしろ1+1=2のように100点の答えという、単純で簡単な答えがある方が珍しいのかも知れない。
それは自分が望む考え方と出会った時!そんな先入観がイメージできた時!それは正確に理解したいのではなく「こんな答えが良い!」と思いたいように思って!そんな先入観で見れば、それは見えてくる。
日本人の理解力にはキーワードという先入観が効果的で、そんな先入観で見てると「そう見える!」
数学者を「天才!」と感じる答えは、案外100点満点で30点の答えかもしれない。それは殆んど「こうなら良いのに!」という希望的な主観で出来上がっているのかも知れない。
全ては「面白い!」という主観的な高揚感から[ひらめき]も論理も生まれてくるのかも知れない。
天才数学者のアラン・チューリングは発達障害で、しかも同性愛者でガラパゴス諸島のように社会から隔絶した思考が重要な意味を持っているのかも知れない。
[主観的な思考!]それは大きなヒントなのかも知れない。
発達障害。
そこにはいろんなキーワードがあるのかも知れない。
早朝のNHKラジオで「学習障害のある子の中に理数系で才能をしめす子がいる。」という話を聞いて、もっと研究が進めば決定的に日本の教育は変わるような気がする。
